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『過去編』思春期-中学校-中編-

ありがたいですよね。義務教育。なーんにもしなくっても進級できます。

中学2年になった私は学校行事もそこそこに週2程度休み始めていました。

この頃の記憶ってなんだか辛くて鮮明に思い出せないんですよね。家族がなんとか学校に行かせようとしていたのを覚えています。

まず塾なんですけどね。辞めました。無気力です。そもそも学校にもまともに行けなくなった人間が塾ならモチベーションを保てるかというと、無理です。
そこが逃げ場になっているなら幸せな事ですので、あくまで私の話です。

学力低下を恐れた母親は私のケアより塾選びに必死になります。何軒かお試しに受講させられました。私も怖かったですもん。勉強が遅れるの。

ただ、今になって思うのはその時に必要だったのは休息だったんだと思います。勉強なんてあとからやる気が出る時にやればいいんです。持論ですけど。
食う寝る遊ぶ笑うができてこそ。
人のキャパシティはそれぞれ違うから、みんなやってる、みんなできてるって呪いの言葉に惑わされちゃだめですぜ。

ちょっと脱線しました。

この頃から太り始めました。そらそうでしょう。家にいるんですもん。それはもう丸々と。親戚の集まりではからかわれるし、中にはしたり顔で「自分の嫌なことから逃げたらダメ!いつまでも甘えるな」とご高説をタレる方もいらっしゃいました。クソ喰らえ。私はお前の子でもねぇし、育てられた覚えもなければ心も開いてない。
今悩んでる子がいたら絶対言えることは『責任の取れない大人の言うことは聞かなくて大丈夫です』

夏休みには不登校児を集めた泊まりのフリースクールみたいなもんに突っ込まれました。元来いい子ちゃんなので、そこそこの付き合いとそこそこのテンションで乗り切りました。嬉しかったのは規則正しい生活を送れたので痩せたことです。

職員さんは親身になってくれました。不登校児に理解がある。知識がある。ってのは親も預けやすいし楽なんでしょうね。親同士の情報交換も担っています。語弊を恐れずにいえば手のかかる子を1週間預かってもらえるって親のリフレッシュにも繋がるんだと思います。いいとこです。

仲良くなった男の子と付き合うなんて甘酸っぱいこともありました。不器用にも手紙のやり取りをしていました。自然消滅してしまいましたけどね。

夏休みがあけて二学期。
やっぱり行けません。学校。
何故か家では子犬を飼い始めました。ドッグセラピーなるものがいいと聞きかじった祖母に連れられて買ってきました。

大変な使命を背負わされた子犬です。この子の世話で必ず私が学校に行くと信じてやまない祖母の呪いも合わさりました。
それでも子犬は育ち、ただただ可愛くやんちゃな子に育ちました。
私のセラピーなんて知ったことかという風体でただ図々しく飯を喰らいグゥグゥと寝るのです。可愛かったなぁ。
この子は16年ほど生きて数年前老衰で安らかな死を迎えました。

ああ、そう。二学期だ。この頃からほぼ保健室登校でしたね。寝る、自習、出たい授業だけ出て適当に帰宅。他の児童に特別扱いをなじられることもありました。
ほかにも数名そんな子はいて、独断珍しくはなかったので穏やかに過ごしていた気がします。一応出席扱いにしてくれていたのも有難かったです。

ある朝です。犬の世話を終え学校に行こうとすると腹痛が。よくある症状なんですけど、その日は祖母との相性が悪かった。
毒な祖母なんで相性もクソもないんですけどね。売り言葉に買い言葉。
私が「私なんて間違えて生まれてきたんやろ!」と言うと祖母も「そうや!間違えて生まれてきたんや!学校にも行けない出来損ない!」

母も私も号泣。とりあえず学校の保健室に親子で避難しました。
そこからあれよあれよと引きこもり、再び太り、摂食障害を発症し食べては吐いて寝て。夜は寝ずにゲームや深夜番組を見て。
精神科に連れていかれて安定剤やら睡眠薬やらの調整が始まり、底辺だと思っていた状態はまだ下があったことを実感しました。

夜中、誰も起きてない時が唯一の自由時間だったんです。
昼間は祖母が「近所の人に学校に行ってないなんて知られたら恥ずかしい」という理由で足音も物音も立てずにトイレをひたすら我慢して、家に誰もいなくなったのを見計らって行っていたくらいなので。

今でも物音に怯えて暮らす習慣は抜けません。鍵も無かったから祖母や母の都合で侵入してこられていましたので。スリッパの音や歩幅で誰か分かりますよ。

自慢にもなりゃしない特技を披露したところで、今日はこの辺で。

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