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セルフ-トート / パストラル・ディスコ(the boy least likely to『the best party ever』レビュー)
2005年といえば、アークティック・モンキーズが例のシングル「I Bet You Look Good on the Dancefloor」を出し、アニマル・コレクティヴがアルバム『Feels』を出し、UKもUSも有象無象にインディ・バンドが犇めき合ってキャッチアップが大変だった年の一つだと個人的には感じます。
そんな中でポッと出てきたthe boy least likely to。
ジャケットが可愛いなと思い手に取ると、何となく「ミッシェル・ポルナレフがバンジョーを使ってカントリーをやっている?」という雑な感想を覚えましたが、聴いてすぐに曲の深みに虜になったのをよく覚えています。
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グロッケン(鉄琴)のキュートな音で開幕し、バンジョーがそれを追いかけるブリリアントなイントロ・・「太陽系を見つめてみると/ 星があちこちに張り付いている」ーを、チャーミングな歌詞に続ける「Be Gentle With Me」。
この楽曲はドラムが入り曲にエンジンがかかる頃、「身体が弱って死んでしまう前に・・僕はほんの少しだけでも輝きたい」というドキっとするような歌詞が現れます。・・おや?と思いますよね。
ヴォーカルの兄が描いたという可愛らしい動物の絵とおもちゃ、ナイーヴながら優しい歌声・・キュートで牧歌的な音楽と裏腹に、
「こんな風に死ぬことが怖いっていうことは、自分が幸せだっていうことなんだ」とやや自虐的なヴァースを経て「だから優しくしてよ、僕も君に優しくするよ」とこの曲は続きます。
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筆者も正直なところどこで彼らを知ったのかは覚えていません。My Spaceだっだような気もしますが。
ですが、ピッチフォークのトップ50アルバムに選ばれ、ラフ・トレードショップのトップ100アルバムの8位に堂々ランクインしていたから、少なくとも『the best party ever』が発売された2005年は、
だからどこに居たとしても、彼らの存在を無視できなかったのではないでしょうか?
パストラル・フォーク・ディスコ
The Boy Least Likely Toは、UKはバッキンガムシャー出身のデュオである。作曲・楽器演奏をPete Hobbs、作詞・歌唱をJof Owenが担っているが、彼らはロンドンから北に40マイルほど離れた長閑な村で一緒に育ったようだ。
(本当に長閑な村であるようで、曰く「朝起きると郵便配達ぐらいしか人がいなくて、小鳥のさえずりが聞こえるようなところ」とのこと。)
Jof自身、小さい頃の夢はカウボーイで、ジョニー・キャッシュなどカントリーを聴きながら育ったという彼らの音楽的バックグラウンドに、このような田舎の原風景は大きく影響しているのかもしれない。
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彼ら自身、自らの音楽を「Country-Disco」と呼んでいるが、the boy least likely toの音楽的方向性については、Jofは以下のように語っている。
”ポップソングを作りたかったんだ。田舎の(Pastoral)イギリスのフォークの感じや、カントリーの感じを入れながら、ほんの少しディスコとポップの要素が入るような。ーバンジョーとリコーダー、グロッケンとキーボードを使って。” (Jof)
ボトムにタンバリンのビートを敷き、軽やかにクラップと共に展開する「fur solf as fur」のバンジョー+ギターや、美しいギター・ストリングスとハーモニカのメロディから始まる「hugging my grudge」などはなるほど、カントリー的であるかもしれない。
少し変則的ではあるが、グロッケンを大きくフィーチャーした「rock upon a porch with you(日本版ボーナストラック)」も、ギターストリングスは軽やかで牧歌的だ。
ただし、「i'm glad i hitched my apple wagon to your star」はボトムにあるオーソドックスなドラムのビートを隠すようにギロ、タンバリンが鳴っているし、曲の中〜後半にセンチメンタルなメロディとリコーダーの掛け合いも存在する・・リコーダーのパートがこのように前景に出てくるようなバンドも珍しいのではないだろうか。
また、これはクリスマス・ソングで『the best party ever』収録ではないが、「a winter's tale」などに大きくフィドルの音をフィーチャーしているのも、どことなくイングランド、あるいはアイルランドの古き良き民族音楽を彷彿とさせる。
ギター、ベース、ドラム、あるいはキーボードという一般的なバンドの構成に加え、バンジョー、リコーダー、グロッケン、フィドル(いわゆるヴァイオリン、ヴィオラなどの弦楽器)、もしくはトイ・ピアノなどチープな楽器を用いた彼らの音楽性は、
なるほどカントリーやフォークがベースにあることはわかるが、明瞭なバンド・サウンドという意味では、よく比較されるようにアズテック・カメラやオレンジジュースといったTwee Popの影響も感じられる。
ややトリッキーなキーボードのメロディからは当時流行しつつあったUSインディのネオ・サイケのようなモダンな感じもそこはかとなく受ける・・が、表立って出てくるアプローチはもっと意図的にチープにしているし、サウンド・スケールはもっと小粒だ。
例えるなら、しょぼたまの「あるファバット」や「おおホーリーナイト」、あるいは「BWV1065 (4台のチェンバロのための協奏曲・イ短調)」のように、敢えてバンドサウンドではなくチープな楽器を用いてバンド演奏を行うスタイルが、音楽的には近いような気もする。
”(一般的なバンドが)もっともやらないであろうこと”
彼らのバンド名「the boy least likely to」については、モリッシーの「The Girl Least Likely To」をどうしても思い出してしまうと思うが、Jof曰くそれが由来というわけではないという。(「よく言われるけど、実は知らなかった」とのこと)
ただし、彼らのバンド名については下記のような思いが込められているようだ。「テレビを見ていて思いついたんだけど、」とJofは語る。
”僕たちはメディアの評価はまったく気にしていなかったし、今もしていない。デモテープをレーベルに送ることもしていないし。仕事のない日にレコーディングをして、アルバムを作ってリリースするということを続けてきた。
・・でもこういうことって、他のバンドはあまりやっていないことだと思うんだよ。だから、そういう意味でバンド名(「the boy least likely to=男の子がもっともやらなそうなこと」)として合っていると思って。”
なお、そんな理由からデビュー・シングルである「Paper Cuts」をいきなり自主レーベル「Too Young To Die」からリリースしている。
無名のバンドがいきなり自主レーベルからリリースしそれをヒットさせるというのもなかなか珍しいバンド・キャリアかと思うが、そういったものも含めバンドの在り方や使用する楽器など、正攻法でないところが彼ら「らしい」のかもしれない。
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ちなみに、レーベルからはthe boy least likely toの他にAmanda ApplewoodとDiving At Dawnというアーティストの楽曲がリリースされている。
Amanda Applewoodはthe boy least likely toのリコーダー/キーボード担当の女性であり(ツアーバスの中で曲を作っていたとか)、彼らの友達であるという。また、Diving At DawnはPeter Hobbsのサイドプロジェクトなので、実質、自分たちの楽曲をリリースするための専用レーベルといえる。
(小声であることの)逆説的な大声
”僕たちはアルバムに大きなことは望んでいなくて。ラジオやテレビやプレスが気にいるようなものを作ってない。ラジオやNMEなんかが気にいる音楽を作ろうという気持ちでいい音楽が作れるとはとても思えなかったから。”
彼らのアーティストとしてのキャリアが「一般的」ではないことは前述したが、それぞれ幼少期に同じような音楽的挫折を経験していることも面白い。
Peteは「7歳の頃にリコーダーの演奏方法を知りたくてリコーダー・クラブに通ったんだけど、そこは初心者向きではなくて演奏方法は教えてもらえなかった。だから完全に独学(self-taught)でやることにした」と話していたし、
そこら中にたくさんの楽器があったという家庭で育ったというJofも、「8歳の頃にピアノレッスンを始めたけど自分より兄の方がずっと上手かったからすぐに辞めた。自分は何においてもクソ(Crap)だったから・・だから作詞を始めた」と語っている。
また、「バンドをやりたいなんて思っていなくて・・でも、TOTPでジョージ・マイケルを見たときに、自分もポップスターになりたいと思った」とのこと。
「バンドサウンドは作りたくないが、ポップソングを作りたい・・バンジョーとリコーダー、グロッケンとキーボードを使って」という彼らの少し変わったアプローチは、こういう体験から来ているのかもしれない。
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00年代というと、インターネットの発展とともにYouTubeやMySpaceなどで簡単に世界のアーティストにアクセスできる、逆に言えば情報過多な時代の黎明期だったように感じる。
「集中などできない人々の注意を引くには、(アートは)大きくて、高価で、よくできているものでなくてはならない」とはアートディーラーのマイケル・フィンドレーの談だが、
シーンにおいて決してアウトサイダーであろうとした訳ではない彼らが、シーンのどこにも属さない(当時はガレージロック・リバイバル、ネオ・サイケの影響を受けたフリー・フォーク的な音楽が多かった)マイペースな作品をリリースしたことで、図らずも圧倒的存在感を示した、という事実はとても興味深い。
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