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小学校6年生時代が人生のピーク
中日ドラゴンズの優勝を体験し、プロ野球への興味が一旦落ち着いた1989年、私は小学校の最上級生となり、あらゆる活動に駆り出されていた。
まずは地元の大きな祭りに鼓笛隊として参加させられた。担任からのオファーで最初は断ったが、この祭りに出ることは名誉なことらしく、母がどうしても受けろということで、聖闘士星矢の超合金と引き換えに出ることにした。
次に地元の小学生を集めたローカルテレビでのクイズ番組に出
Kクラブからのスカウト
さて、ソフトボールの準優勝に沸き、ほぼ我が町内チームの貸し切りと化した食堂で、ある人物が私に声をかけてきた。ソフトボールチームの監督を務めた男性だ。その男性はカワムラといい、その日の私のプレーをひとしきりベタ褒めしたあげく、Kクラブに入らないかとスカウトしてきた。Kクラブ。そう、それは私が3年生のときに退団した学童野球チームである。
カワムラはKクラブのコーチをしており、彼の息子もKクラブの6年生
駆り出されたソフトボール大会
さて、小学校5年生になった私は精力的にドラゴンズの応援と水島漫画むさぼり読みは継続していた。
自分の野球といえばゴムボールをカラーバットで打つ子ども同士の遊びに興じながらも、暇があれば自宅前のスペースで木製バットのスイングと軟式ボールの壁当てを自主的にやっていた。いつかまた野球をやろうとか思ったわけではなく、バットを振ったりボールを投げたりしながら、「打ちました!」「投げました!」とひとり実況で妄