妻が子宮内膜増殖症になった。
つい先日から不正出血を訴え、産婦人科に行ったところそう告げられた。
クラス3aと言う段階で幸い癌の前段階らしい。
正直妻の手前、落ち込んではいけないと思ったし、一緒に落ちてる場合ではなく、どんと構えて冷静沈着でいなければと思った。最悪の場合子供がいる未来を捨てる可能性も考えた。子供は欲しいと思っていたが仕方ない。その時は子供がいない夫婦にしか出来ない人生を歩もうと腹を括った。もし、闘病と言うことになるならば、仕事も妻と時間を共に過ごしやすい仕事に変えようとも思った。妻が死ななければ、生きてさえいてくれればなんでもいいとすら思った。
その日の晩御飯は野菜とベーコンがゴロゴロ入ったポトフを作った。いつも通り完食してくれた妻。明るく振る舞ってはいるが色々調べてるみたいだ。当たり前だ。そもそも明るく振る舞おうと言う気遣いに感心すると共に心配にもなる。
この時の晩御飯はしばらく記憶に残るだろうと思う。すごく〝日常”を実感して噛み締めながら食べたから、、、
この病気にはクラスがあり
1、2〜正常
3a〜軽度、中度
3b〜高度
4〜上皮がん
5〜浸透がん
ということらしい。
詳しくはGoogle先生に聞いてみて欲しい。
いろいろ調べてみてざっくりではあるが、妻が診断されたクラス3aは子宮摘出以外の治療が可能であり、そもそも癌でない可能性もある。との事だった。
無知が故に、癌=死 と考えていた。
これを見て、らしくないが妻の前で泣いてしまった。腹を括ったつもりではあったが、子供を諦めなくてもいいかもしれない。そしてなにより妻とこれから人生を歩める。これほど嬉しい事はない。緊張がとけたんだと思う。
さっき仕事を変える覚悟も話したが、20代前半の頃は仕事で成り上がって行くことしか考えてなかった。だがこの事態になって仕事と妻を天秤にかけた時にこうも簡単に仕事を捨てる決断ができる自分に驚いた。なんならくだらないとすら思ったかも笑
自分が働き終わった後、老後。仕事を失った自分は何が残るだろうと。妻、未来の家族が残っている。自分が死んだ後も残り続けるものだ。こんなに大事なものがあるだろうか。仕事はいくらでもあるが妻は1人だ。
こんな当たり前のことが沁みたのは死の可能性を間近に感じたからだと思う。
一方妻は泣いてる姿を見て、「私、愛されてて幸せだな♪」とだけ言い捨て、爆音でイビキをかいて横で寝ている。実に耳障りだ。涙を返せ。
あ、あとこの季節になると思い出すが、毎年寒くなると布団を奪われる事案が発生する。いつも眠りが深く、夜に一切起きない自分が唯一起きる原因がこれだ。寒くて起きる。まーじで勘弁して欲しい。
話が脱線したね。
長々と色々書いたけど、愛してくれる相手がいる事はもちろん、愛せる相手がいる事にも感謝をしようと思ったよって話。