読書メモ『あたらしい無職』
本を読んだ。丹野未雪さんと言う著者の『あたらしい無職』と言う本だ。
丹野さんは非正規雇用(契約社員、業務委託)で編集業をやってきた人で、本の中には、彼女が39歳で無職になってから再就職し、41歳でまた無職になるまでの日々が記されている。
淡々とした日記なのだけれど、面白かった。著者自身の働き方もだけれど、その周りにも多様な働き方をしている人、あるいは働いていない人がいて、世の中、いろんな仕事で成り立ってるものなんだな、と、当たり前のようなことを思ったりした。
無職と言っても、著者には手に職があり、人脈もあり、友人も多くて、悲壮感はほとんどない。自由な時間を使って見たいものを見に行ったり、友人たちと集まったり、ハローワークにも行かなければいけないし、やることが色々あって忙しそうだ。ギリギリではあるけれど、アルバイトをしたりして何とか暮らして行けてもいる。
そうして既存のヒエラルキーの外側で生きていく。そういう価値観が、つまり「あたらしい無職」なのだろうか。
著者の友人もこんなふうに言う。
社会保険料、税金、老後の貯えなど、頭を悩ますことは多いだろうけれど、身の丈に合わない贅沢のために稼ぐのではなく、自分が最低限食べて行くだけであればどうとでもなるというのは、実際、今の時代っぽい。
私自身が長年無職をやってきて、今は非正規雇用のパート労働で、なんとか食っている身だ。もし正社員の話があっても、きっと辞退するだろう。うつ病があるからフルタイムでは働けないし、何より責任を背負いたくない気持ちが強い。いつでも辞められて、多くの責任を求められない立場だからこそ、うつ病持ちの私でも働けているのだ。
病気に限らずとも、生き方として「自分が生きる以上のことの責任を負いたくない」と言う人も、実は結構いるんじゃないだろうか。今までは、それじゃ駄目だ、大人と言うのはそういうものじゃないと社会の側から言われてきたわけだけれど、結局そう言う社会が私たちを守ってくれるわけでもないと、私たちはうんざりするほど知っている。
著者の執筆記事によると、本書にはこんな感想が寄せられたらしい。
ただ普通に息をして生きて行きたい。私はもう、それだけでいい。
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