「財政と民主主義・人間が信頼し合える社会へ」
「財政と民主主義・人間が信頼し合える社会へ」神野直彦著・岩波新書2024年2月発行
著者は1946年生まれ、東京大学名誉教授、専門は財政学。ドイツ財政学を継承、シュンペーター財政社会学を発展させる。「人間国家へ改革・参加型の福祉社会をつくる」「分かち合いの経済学」などの書籍がある。
現代日本は、新自由主義の浸透で格差や貧困、環境破壊が拡大し、人間の生きる場が崩されている。そしてあらゆる決定を市場と為政者に委ねている。
国民の共同意志決定のもと、財政を有効機能させて、現在の危機を克服する必要がある。日本の経済と民主主義を根源的に問い直し、「人間らしく生きられる社会」を構想する。これが本書の視点である。
民主主義とは、「民」が「主」になること。民が支配者になり、未来の選択を民に委ねる社会。財政とは、政治システム、経済システム、社会システムの三つをトータルシステムとして作り上げる結節点である。
財政の有効活用によって「人間がより人間らしく生きられる社会」を目指す。民主主義とは、すべての構成員の共同意志決定で人間らしく生きる未来社会を決定する運動である。
現在の日本は国民による財政コントロールが困難となっている。その原因の一つは、経済学者ガルブレイスが言った「日本は観客型社会」にあるだろう。
北欧が「参加型社会」であるのに対し、日本は「観る社会」自ら参加して、困難を克服をせずに、良きリーダーを探し求める社会である。
もう一つの原因は、社会保障の財政構造が複雑、その意思決定も複雑で、加えて政府への信頼もない。その結果、財政民主主義が機能不全に陥っている。
1965年、東大卒業式辞の大河内総長「太った豚になるより、痩せたソクラテスになれ」の言葉。実際は読み飛ばしたらしい。人間の「所有欲求」より、人間の「存在欲求」を重視する。それが生の目的であるという。
経済システムは生の「目的」でなく、「手段」である。しかし現実の市場経済は「人間の生きる場」を破壊する。高度な工業社会は人間の生活の場である地域共同体も破壊しつつある。
従って「量の経済」から「質の経済」への転換が必要である。量の経済とは「所有欲求の経済」。質の経済とは「存在欲求の経済」である。巨大な富の所有者は所有欲求を無限に拡大させる。
その解決策は、財政によって所得の事前的再分配と事後的再分配を機能させて、巨大富形成の政治システムを転換させることにある。そのためには、中央政府、地方自治体の協働が必須要件となる。中央と地方とは政策課題が違うと勘違いする人もいる。
民主主義をもっと大切に育成し、発展させなければ、権威に依存し、他者に同調を強要する「ポピュリズム」が生まれる。いまこそ、その転換期に日本はあるのではないか?