朝寝坊
布団から出られなくて魘されるとき、今もわたしは未だ、ずっとなにかと必死に闘っていた頃の自分を思い出す。
六月は、一年のなかでわたしが二番目に不調になる月だ。この時期は雨や曇りばかりで朝日が差し込まないし低気圧が襲うから目覚めは最悪である。昼まで寝てしまうしそのせいか身体が一日中重くて頭もぼうっとしてやる気も起きない、寝たい、ただ眠りたい、なにもしたくない、そうやって孤独感をすっぽり頭まで被って包まっていると、全然身体が動かない代わりに頭の中ではなにかがいつもぐるぐるしていた頃の自分と重なる。もう、最近になっては滅多にないこと。
かつて、わたしがずっと布団のなかで闘ってた相手、社会とか資本主義とか大衆の集合意識とか同調圧力とか、性差とか、そういうものが、二十歳になったら途端に小さくなって、わたしは随分と生きやすくなった。しかし、この前またひとつ歳を重ねてからは、想像上の中の敵でしかなかったはずの彼らが実体を持って目の前に立て続けに現れてきた。戦争だ!
以前のわたしだったら、なにも言えずにその場では呑み込んで、部屋で大暴れしたあと静かに泣くだけだったろうに、いまのわたし、声は震えても相手の目を据えてちゃんと弁が立っていて、随分と強くなったもんだ、と自分に感心する。
わたし、人を喜ばせることも感動させることもできない。それどころか、海に沈んでゆくシロクマの運命を変えることもできなければ、誰かの欲を満たすために大量に並べられた皿の中身が捨てられてゆくのも、明日を生きる食べ物を手に入れるのに精一杯に生きている誰かのことも、見て見ぬふりするしかできなかった。トレンドに弄ばれた服たちはどこかの倉庫で大量に山をつくっているし、歴史ある美しい建築が、利益目的のつまんない分譲住宅になるため壊されてゆくのを止めることもできなかった。目の前で人が苦しんでいてもなにもできない、声を届けることも聞くこともできない、いつもガラスを挟んで世界を見ているような気持ちだった。ガラスを壊すためにわたしはいつも火薬を投げ込むことしかできなかった。
無力でからっぽの自分からなにかを生み出すには、弱さが必要だった。
言い換えるならば、弱い立場に自分を置くことを臆さず、すべてを放り棄ててはだかの心で在り続けようとする必死さ。自分の輪郭を徐々に細くしていき、世界との境界を曖昧にして深く潜っていく。そうすると外からの、すこしの衝撃でいくらでも自分の形を変えることができた。
その傷口から流れ込んできた、たくさんの色にわたしはいつも浸っていて、やがて満たされ、遂には溢れてしまった。いろんな色が混ざり合ったどす黒いもので一杯で破裂してしまいそうな心をもったわたしは、いつ壊れてしまうかわからないくらいとても弱かったけど、望みを叶えるためならば人生投げ出してやる、くらいの殺気はあった、きっと。
或いは、それは脆さともいうかもしれない。
弱さから生み出したものを守るには強さが必要になった。わたしがつくったものは、わたしが今まで、自分を細かく砕いて飛び散った欠片を、かき集めてきたものたちだ。わたしがわたしの輪郭を失ったら、いま両手で抱えているものたちも、あっという間に世界に溶けて、離散してしまう。
だから、わたし、自分の輪郭を守るため。武装しなくちゃいけない。
突然に自分の好む紅茶も洋服も香水も趣味が変わった。今はミルクティーよりも白茶が好きだし、淡いレースのドレスをふわりと靡かせるよりも、黒いタイトなパンツに革の上着を羽織りたい。香りは軽くて柔らかいものより重いものが好きになった。最近の自分が好む香水の共通点を調べてみたら、どちらも薔薇とお香の香りが奥に隠れている。お香の、火が燻っている香り、それって、もしかしたら銃を撃ち放った後の火薬の残り香に似ているのかもしれない。
人生で一度だけ、実弾射撃をしたことがある。映画やドキュメンタリーで観るときは、一瞬で簡単に命を奪えるものだと思っていたけど、撃ったときに全身に轟いた衝撃は、思っていたよりもずっとずっと重く長く響いた。もし銃口が何かの拍子に自分に向いて誤発射してしまったら、なんてことを考えて、触れるだけですら脚が震えた。
自分を守るために武器を仕込むには、自分を殺すまでの覚悟が必要なのだと思った。
本当は死ぬまで武器なんかもたないでいたかった、たとえこめかみにピストルを当てられても防御だけできていればよい、なにも持たずとも、まっすぐな目さえあれば、このまま海と空にわたしのこころが反射してゆき巡り巡って遠くまでわたしの声を届けられると思っていた。だけど、助けて!と必死に訴えても、助けに来てくれるひとなんていない、敵が見逃してくれることもない。自分や大切なものは、自分よりも強い人からは護れやしないから、戦争放棄して最弱のままじゃだめなんだ。なにも持たないことの強さはもう知っているから、わたしはもうなにかをもつための強さがほしい。スタンガンを隠し持つのではなくて、バズーカを抱えたい。なんて言ってるわたしは、もう社会に毒されている?
大人になる、ってずっと、希望だとか、夢とか純粋さを失ってゆくことだと思っていた、だからその不可逆性がこわくてたまらなかった。
だけど、大人になるとは、なにかを失うのではなくて、見栄とかプライドとか、余計なものをたくさん身に纏ってしまうことだと最近気づいた。窮屈になったら鎧を脱げばいい、ただそれだけのことなんだ。だけど、なにかを守るため、たくさん纏えば纏うほど、兜を脱ぐことがおそろしくなる。それまでに守ってきたものの数だけ、いつどこから首を斬られるかわからなくて、おそろしくなる。
先月誕生日を迎えてから、下書きをもう十個近く書いては没にしている。感受性が死にかけてないか不安です、認めたくない!なんて言う気ももうなくなるくらい、わたしは大人になってしまっている。でも、ここでいう大人になるとは、「自分の道を諦める」ことではなく、「守るべきものを守るための力をつける」ことである。それは、大切な人かもしれないし、自分の信念や夢かもしれないし、幼少期の自分かもしれない。
守るものがあることが立派だと言いたいわけではない。なにももたず、自由に飛び回れるうちにしておくことはきっとたくさんある。二十歳になったからと言って、なにかを守らなきゃいけないわけでもないと思う、死ぬまで一生なにも守らなくてもいいし、守るために、なにかを諦めなきゃいけないこともきっとあるだろう。とっても面倒くさい。
本当は素っ裸で居ることがいちばんの強さなこと、知っている。きっとわたしがおばあちゃんになるまで生きていられたらそのときは、武器なんかもたずに裸で堂々と歩くのがいちばん強いだとかなんとか言っていると思う。だけど脱ぐためには着なくてはならない。わたしは今、武装しなくてはならない。世界をつくるには、いまある世界と戦わなくちゃいけない!実のところ人間なんて、みんなか弱いんだから。
ガラスのハート、というけれど、本当にこころは、硝子そっくりだなぁと思う。
傷もなければ曇り一つない、純度の高い透き通った硝子は、窓になって内の世界を寒さや暑さから守りながら、外の景色を見せるだけだ。仕切られた二つの世界は、内からも外からも干渉し合わない。
例えばここに一つヒビが入ってしまえば、人は使い物にならないと言って捨てて新しいものと交換するだろう。自分のこころがそうなってしまったとき、すべきことはなにか。ヒビをなくし、元の姿に戻ること?それを願うなら生まれ変わるしかない。
わたしならば、いっそ粉々になるまで壊れてみたいと思う。
硝子にヒビが入ると白く見えるのは、面の角度があちこちに向いて光が乱反射し、色が混ざり合うからで、そもそも最初から硝子は完全な透明なんかじゃないらしい。
粉々に割れても、なんの役にも立たないけど、いろんな角度で光を反射していたらもしかしたら、誰も見たことのない色がふと、視界の端に見えるかもしれない。
わたしたち、透明で居続けるためじゃなくてあたらしい色を見つける、たったそれだけのために、硝子の心をもらったのかもしれないな。
砕けに砕けて乱反射して、目も眩むほどのまばゆい光を放ったら、そしていつか、圧倒的美で薙ぎ倒すわよ!世界
闘ってばかりいて、立ち止まるタイミングをたくさん逃してしまったけど、低気圧のおかげで、布団の中に居る時間が増えて、こんな文章が出来上がった。この一ヶ月、ころころと考えが変わってしまうから、これぜんぶ、溜めに溜めた取り止めのない下書きの継ぎ接ぎです。朝寝坊ばかりしていた頃の自分とひさびさに話せた気がするので、周りからはだらしないと言われてしまうし自分も自己嫌悪に浸ってしまう朝寝坊をすこしでも必要な時間だと肯定できるようにプレイリストをつくりました。自分の脳内は朝寝坊のおかげでできていると言っても過言ではない。