見出し画像

できる人にできない人の気持ちはわからない

行動がいつも普通じゃないと言われ、
普通じゃない選択をし、
普通じゃない人生を送っているばこです。

私自身、「できる人」と「できない人」の
どちらに分類されるかよくわかりません。
ただ一つ。
「だれでもかんたんにできること」
の多くができなかったと思います。
逆に「みんなができないこと」を
できることはそれなりにありました。


様々な概念が渦巻く中で、
私はどっちの側なんだろう。
どっちにうなずけばいいのだろう。
同調も対立もできず、
宙に浮いた状態なのも
なかなかに苦しいものでした。

実際に、小学校のときには、
「一輪車の達人」という賞をもらったり、
「普通独学じゃ受からないよ」と言われた
資格を一発で合格したり。
「普通シングルマザーで事業起こしても厳しいでしょ」
と言われても、なんとかやっていたり。
そして「普通出来ない」と言われていることが
すんなりできてしまうことは
周りから冷ややかな目で見られるのも
知っています。

そして最近こんなことを言われました。

「簡単なことができないならなにもできない」


私ももう30代後半で、
子ども二人を自分の事業でなんとか育ててきて
(本当になんとか食いつないだ程度ですが)
色んな苦難も乗り越えた時に言われました。

これを言ってくれたのは、
新しく触れた環境(仕事)の中の
先輩の言葉です。

確かにその環境の中では私も新米だし、
なかなかうまくはいかない状態でした。
ある程度の期間関わってみましたが、
その仕事のやり方でよく言っていたことが
「これは、なによりも簡単な仕事」
ということです。
私は何事もすぐに判断せずある程度
関わって染み込ませてみてから判断するようにしてます。
ちょっとした違和感を感じても、
違和感の正体を突き止めるまでは辞めません。
自分の人生の中で「違うもの」も
必要だと思っていて、それは
「合っているもの」を見つけるのに
役に立つからです。

ただやっていくうちに
「なによりも簡単な仕事か。
多分それ、私にできないやつだ」
と判断するようになりました。

「私の気持ちはわからないよね」


なので、私はまた別の仕事を見つけました。
見つけたというか、
自然とその仕事をやる流れになったのです。
そっちの環境に触れれば触れるほど、
難しいということもわかりました。
ただ私の心は燃えるばかりだったのです。
私にとって重要なのは
「簡単なこと」ではなくて
「心が沸き立っているか」ということ。
いくら簡単でも気持ちが向かなかったら
まずやらないので、できるようにもなりません。
8割の人は「簡単にできる」
ことが好きかもしれません。
でも私はその8割ではないので
そもそも魅力を感じてもいないのです。
なのでできるようにならないのは当然なのです。

「できない人は努力不足」


その簡単な仕事の先輩方が良く言っている言葉。
「私たちはできたし、私たちの周りの子たちはできてる。
だからできないわけがない。」

はっきり言いますが、この言葉はウソです。

1つこの言葉の良い点を挙げるとすれば
「あなたにもできる」というポジティブな
思い込みを与えられる点。
思い込みの力はとても大きいので、
これで本当にできるようになる人もいます。
こういう点をわかっていて、あえて
言い切りの形を取っている人もいるのかもしれない。

そうは言いつつも私は
こういう発言をポジティブに受け取れませんでした。
すごく嫌悪感があります。
でもそれは受け取れない人が悪いとか
ネガティブだとかいうことじゃありません。
(そういう場合もあるかと思いますが)

それを「努力不足だ」と言っている先輩を見て、
「この人はなにもわかってないんだな」
と感じて不快な気持ちに。
私はこうして冷静に物事を捉えていますが、
こういう言葉で素直に苦しむ人が
たくさんいるのだろうと感じてます。
というか私も言われたときは
自分の価値って低いんだなーと
そういう風な気持ちになりました。

つまり私がこの簡単な仕事をやらなくなった理由は
こんなところにあります。

「簡単なことができない人の言葉は信用できない」


私がやらないで諦めた人、だと判断され
こういう風に言われたこともあります。
すごく心がざわつきましたし、
怒りもも芽生えました。

ただ、私は先輩のように
人前で堂々と意見を発言できません。
それは自己防衛、自分が恥をかいたりしたくないから。
人前で発言できないのは優しさではなく、
弱さだし自分を守りたい気持ちの表れ。
そして発言すれば100%に受け入れられるわけでなく、
批判されることも受け止めないといけない。
それが怖いのです。
そういう自分に比べたら、
どんどんアウトプットができる先輩たちは
勇気もあるし、自分の評価を犠牲にしてでも
人のために伝えているので
そういう部分は尊敬しています。

何を言われたかは気にしない

私自身気にしないことはできませんが
あえてこの言葉を使いました。
気にしないというか
それほど深く考えない。
私の気持ちが分かってもらえないように、
私もきっと人の気持ちを理解できていません。

そして誰かが発言するときには、
それほど深い意味で言っているわけでもないのです。
「そう思ったからそう言っている」
シンプルにこれだけ。
おそらく私もそうですし、
コミュニケーションの一環として
何か意見したい、とそんな感じなのでは?

なので気に障ることを言われても
「この人はこう考えてるんだ」ってだけ。
でもそれでも自分の心が傷ついてしまうのなら、
それはきっと
あなたの居場所はそこではないというメッセージ。

私は去年それを実際体験しました。
いくら頑張っても馴染めない場所から離れたら
今最高に心地よい環境で過ごせてます。

それは「馴染めない」経験がなければ
今の場所にいなかったので、
そこではないというメッセージを
こうやって伝えてくれたのだと思います。

できない人にできる人の気持ちもわからない


これは逆の発想ですが、
これも事実であります。
できる人はできてしまうのです。
できない人にはできる人の気持ちは
当然わかりませんよね。

なのでお互い様…
だとは言いません。

何故なら、
できる人ができない人の上に立つ構造
が成り立っているからです。
その時点で平等ではないじゃないですか。
できる人ができない人に教えることはあっても、
できる人ができない人を
「責める」「馬鹿にする」「否定する」
資格はありません。

この場合は、「できる人」ではあるけど
優しさに欠如しているし、
支配しようとしているし、
人間性に欠点があります。

できる・できないより大切なこと

できないからと言って自分を
ダメだと思う必要はありません。
つい能力で判断する風潮もありますが、
一番大切なのはそこではありません。
人に寄り添う気持ちや、
他のできることを育てていきましょう♪

いいなと思ったら応援しよう!

ばこ/普通じゃない人
読んで、面白かったよ!タメになったと思ったらチップもよろしくお願いします。応援が次の頑張る力になります。いただいたチップは、「普通じゃない体験」を誰かのタメに生かす活動に使わせていただきます。