小学校を「休学」して、わかったこと①/はじまりは、些細なこと
はじまりは、些細なこと。
小学生の双子の娘が、小学校に行かなくなったのは、小学4年生の5月。GW明けからだった。正確には双子の姉のほうが、どうやら友達とうまく行かないらしく、学校に行きたくない…と朝ゴネはじめた。ともかく、朝起きてこない。起こそうにも、学校に行きたくないと悲痛な表情で訴えられると、無理に起こして学校へ行かせる理由を見つけられなかった。
しばらくは一人で学校へ行っていた双子の妹の子も、夏休みが明けた9月についに私に向かって「私も学校に行きたくない」と意思表示をした。
あれから、丸2年が経つ。双子たちは自動的に6年生になるはずの春休み、世界をコロナが覆ってしまった。幸いにも僕たちの住む岩手県は、新型コロナウィルスの感染者が出ていたいために、小中高とも、開校が続いている。うちの双子たちは、相変わらず小学校には行っていない。
「不登校」の親の気持ち
さて、やはり自分の子供が学校に行かなくなってしまうと、はじめは随分不安だった。一般論とすれば(あるいは他者へのアドバイスであれば)、小学校に行かなくてもだいじょうぶ、学校行かなくても普通に社会人になった友人知人も少なくない…と、おもうのだけれど…。
やはり自分の子供がそうであると、慌て、うろたえ、心配なものだ。はじめは”お約束”のように、どうにかして学校に行かせようと頭を悩ませた。保健室登校を勧めてみたり、給食や体育、遠足などで釣ろうとしてみたり。そのうち僕は、まずは子供たちを信じて様子を見るのが先じゃないかと思うようになり、家族内(双子の母である妻と)で何度か話し合いをして、「学校に行かせようとすること」を、すべて止めることにした。
不登校ではなく、「休学」へ
つまるところ、僕たち夫婦は”学校に行った経験”しかないので、学校に行かないということの現実味がないから不安なんだと気がついた。僕たちが学校に行かせようとすることをやめると、双子の娘たちは徐々に朗らかさを取り戻し(そんなに失ってはいなかったがw)ほどなく朝も起きてくるようになった。
僕はどうも「不登校」という言葉が、うちの学校に行っていない双子にはちょっとそぐわない感じがした。そもそも、”生きる”ということの上で果たしてほんとうに「学校に行かねばならない」のだろうか? 彼女たちは学校には行っていないけれど、毎日それなりに楽しく、なにより朗らかに健やかに、時間に追われずに暮らしている。彼女たちはむしろ、自分の意志で学校に行かないことを選んでいるのだ。
子供なりに、人生と向き合っているのがわかる。もしかしたら、僕をはじめ学校に行っていた多くの大人たちは、自分の人生と向き合うことを逃れていただけなのかもしれない。
そう思うと、”不登校”ではなく「小学校を”休学”している」といったほうがしっくり来る。そう、大学2年ぐらいになると”自分探し”と称して休学したくなるでしょう。双子たちは小4にして早くも”自分探し”を迎えているのだ。そして何より、「小学校を休学」って、オシャレじゃないか!(笑)
双子たちの「休学」に付き合っている僕は、”社会”や教育”、”学び”や”成長”を”学校の外側”から見ることで、随分多くの”気付き”があった。次回からは、「休学」してみてはじめて解った”気づき”を書いてみたいと思う。
次回に続く…
サポート、お願いはしませんが、喜んでお受けします。文章を書くことは私にとっての”托鉢”修行といえるかもしれません。