読書の処方箋 自分探しに効く パシヨン 川越宗一 その2
五十路のおじさん、ばっどです。
いやしかし、このお話が連載されていた時、本当に毎朝新聞が楽しみで。
本当に面白いので読んでない方は是非読んで頂きたい。
なので3回目。
どんなお話かは、書評リンクをご参照ください。
お話の柱の一つは主人公マンショの成長譚と変わらなさぶり。
必死に考える、生きていくには必死に考えざるを得ない。
その結果得られるのは、成長というより、「気付き」。
考えた末であったり、人に言われたことを思い出したりで、「あ、そうか、そうなんや」的に気づきを得て、マンショはだいじな決断を重ねていきます。
そして決断の結果、次のフェーズへ人生を進め、結果的に成長していくのです。
お話の中で、マンショの重要なメンターである原マルチノ。彼がぽつりと言う言葉こそ、まさに現代に生きる我々にも通ずるキーワード。
原はそれに従って生きていきますし、マンショもそれを聞いて自分の行く末がかくあるべきか、思いを巡らせます。
その結果、マンショは天草の乱のさなかの原城へ飛び込み、井上政重との火花散る対決と、想像を絶する結末のシーケンスにつながって行きます。
お話の最後まで、マンショは徹頭徹尾マンショのまま駆け抜けていきます。
なんも考えてなかった少年を、ある意味そこまで研ぎすませていったもの。
その言葉の意味するところは、本来重たいものなんだと思います。
ただ現在では、その言葉は割と軽い意味で使われる方が多いように思います。その真意は、自分はどうありたいか、という事だと気づくと、ゆるがせに使うのは憚られますね。。。
「自由に、己の思うままに生きる」というのは、江戸初期と現代では自ずと意味するところが違ってきます。
中世に比べれば、庶民であっても人勢の選択肢がそこそこある現代。
この本を読めば、「自分探し」なり自分がやりたいことの追究の質が変わってくると思います。
こんなこと考えなくても、本当に面白いんで、それだけで読んで頂ければ!