遅刻の続く子どもが、絶対に語らなかった理由
遅刻が多い子どもに、どのように関わっていますか?遅刻を直そうと指導を繰り返した私たち。しかし、ある子どもの遅刻理由を知ったときに、これまでの遅刻指導がいかに不誠実だったのかということに気がつきました。
学校では、遅刻しないように声をかけたり、時には時間を守ることについて厳しく指導をすることもあると思います。
中学校の担任である私の教室にも、遅刻が多い子どもがいました。
その子どもから学んだことをもとに、学校での生活指導について考えてみます。
※個人が特定されないように、加工した情報をもとにしています。
学級担任としてのプレッシャー
ある日、朝のチャイムが鳴って、教室の窓から正門を見ると・・・
自分のクラスの子どもが、正門の前に立たされ、大きな声で叱られている。
他の教室からも、その子の様子が見えていたと思います。
叱ってくれる生徒指導担当の先生だって、遅刻が続くこの子をなんとかしようとして、精一杯叱ってくれているのだと思います。
でも、自分のクラスの子どもが叱られているのを見るのは本当につらい。
教室に入ってきたその子どもの表情は、今日も1日がんばるぞ!という顔ではありませんでした。
この子が将来、仕事をはじめて、なお遅刻していたら困る
この子が叱られ続けると、肯定感が下がってしまう
そして、担任である自分が指導不足だと思われてしまうのではないか、そんな雰囲気も職員室で感じていました。
そこで、学年主任と相談して、
本人と話しながら、とにかく遅刻を直すための作戦を考えることにしました。
毎朝、6:30に電話で起こすことにした
本人と話して、保護者の了解もいただいた上で、毎朝電話をすることにしました。母親がいない家庭で、父親が早く仕事に出てしまうために、朝は自分で生活するきまりになっているとのこと。
少しだけお手伝いをさせてください、と伝えて了解をいただきました。
毎朝、電話をして起こし続けました。1ヶ月くらい経って、遅刻は減ったのですが、ゼロにはなりません。週の半分くらいは遅れてしまいます。
遅れてくるたびに「先生、ごめん。」と謝るその子に、「朝早く起きる方法調べてみるね。」「あと10分早く家を出れるといいね。」というようなことを、日々話していました。
他の子どもが教えてくれたことに衝撃を受けた
休み時間に、神妙な顔をしたクラスの子どもに呼ばれました。
「おれしか知らないと思うけど、ちょっと気になったことがあるから、知っててほしい」と言うのです。
・その遅刻をする子どもが、ほぼ毎朝、車の助手席で何かを食べている姿を見る
・運転席には女の人がいる
・たぶん母親じゃないか。そうなら遅刻して叱られるのは、かわいそうな気がする
教えてくれたのは、その遅刻が続く子どもの友達でした。
クラスの子どもたちは、その子が遅刻で叱られ続けていたことを知っています。
その子がつらい思いをしていることを察して、こっそり教えてくれたのです。
母親が普段会えない子どものために朝食を毎日作り、食べさせていること。
朝の短い時間を、本人も母親も大切な時間にしていること。
そして、何より、遅刻の理由を問われても、この子どもが絶対に本当の理由を言わなかったこと。
胸が締め付けられました。
この子の気持ちを置き去りにして、この子の思いを理解しようともせず、ただ遅刻という表面的な表れだけを改善しようとしていました。
どんな気持ちで、車で朝食をとったり、遅刻して叱られたりしていたのか。
「遅刻しちゃうから、朝ごはんいらない」と、母親に伝えることを願うのか。
この事実を知り、すぐに学年主任に話しました。生徒指導担当のところにもそのまま向かいました。「特別扱いはできない」「遅刻が大人になっても治らなくていいのですか?」という言葉もいただきました。
つらいことと向き合い、必死に生きる子どもの心を支えていきたいこと。
子どもの心が崩れてしまっては指導も通らないこと。
生徒指導担当の先生にも、過度に強い指導にならないようお願いしました。
少しずつですが、先生方が、この子どもにあたたかく声をかけてくれるようになりました。
この子どもは、その後、学校を中心となって支える、優しくて行動力のある
リーダーの一人になっていきました。
理解して寄り添おうとすることは
子どもの行動を内面から変える
この子どもとの出会いは、私の生徒指導観を変えてくれました。
表面的な行動を直そうとする指導は、本当にその子のためになっているのか、考えるようになりました。
もちろん、毅然した態度で伝えなければいけないときもあります。
でも、指導するための言葉は、どうしてもこちらの思いが先行しがちです。
こちらが理解しようとしていること、寄り添おうとしていることを示すことが、
本当の意味での指導なのかなと思います。
教師も失敗するときがあります。
どんな言葉をかけてもらったら、心が動いたり、揺さぶられたりするか。
夕方に失敗したなぁ、と職員室に戻ってきたときに、「これ飲んで一息つこう」とお茶を入れてくれた同僚に、何度も助けられました。
つらい思いに気づき、理解しようとしたり寄り添おうとしてあげられる人を、
自信をもって育てていきたい、そんな学校であってほしいと思います。