恋はじぶんにないものに気づき、愛はじぶんにあるものに気づく 〜朝人になれなかった話〜
「知れる何かがあった方が当事者は救われる」
あの日かねちと100キロ走ってから、
共感がもたらす階段はマジで誰かを救えるくらいすげーんだってことと、
違いに気付いた分だけ優しさが生まれるんだってことを自分なりに結論づけたうえで、
じゃあ自分には何ができるだろうって思いまして、
そんな時にプライムビデオの
ドラマ「モアザンワーズ」を観ていてですね、
漫画「IN THE APARTMENT」を読んでいてですね、
モアザンワーズを取り巻くいろんな方々のコメントを読んでいてですね、
これこそ「知れる何かがあった方が当事者は救われる」かもしれないと思ったので
私の経験と、私の意見が
必要とする誰かに届けばいいなと思い
思い切ってこの記事を書いてみました。
別に、私が100%正しいわけでもないですし
何かを訂正したいわけでも
誰かの代弁したいわけでもないです。
解決策を渡せるわけでもないです。
ただ、「こういう人もいるよ」ってことが
今まさにひとりぼっちでうずくまって悩んでいる今のあなたに届けばいいなと思って、コソコソ話をする感じでそっと書きました。
読んでくれたら嬉しい💜
本日もよろしくお願いします。
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小学生の頃に
母親に「恋」と「愛」の違いを聞いたら
「恋は欲しがるもので愛は与えるもの」という答えが返ってきました。
当時私が聞きたかったのは、同じ『好き』をなぜ2つに分けるのか?という疑問だったのに、返ってきた答えが自分の理解の域をはるかに超えていたため、「なぜ2つあるのか?」の疑問はますます深まったことをいまだに覚えています。
そして大人になり、みんながいろんな『好き』のカタチを持っていることを知り、
さらに時が経ち、時代が進み、伝え方も受け取り方も多様な世の中になり、
「こんなに言葉に溢れた時代になぜ、自分はまだその二種類の『好き』しか語れないのだろう?」と感じるようになりました。
さてと。
えー
私は女性で異性愛者です。
モテない上に友達もいないです。
私のスマホアプリのディズニーツムツムのランキングも、私とDARKEXITのかねちとりんたろーさんの3人しか居ないですwww笑
ですが、朝人みたいなことが実はありました。
1人の女性を
抱いたり、抱かれていた時期が。
私はそもそもプライベートと仕事を分けたいタイプなので、男性であれ女性であれ、仕事以上の付き合いを自分から誘うことは基本ないのですが、
その女性とは仕事でペアになったこともあって、
先輩である彼女の家に打ち合わせに行って、恋愛観や人生観など仕事以外の事もいろいろと意見交換するようになりました。
そしてある日のこと、
いつものように彼女の家で打ち合わせをし、
いつものように彼女の夕飯をご馳走になり、
いつものように彼女が隣に腰掛けて
女っぽく擦り寄ってきました。
耳に息を吹きかけて、私の反応をケラケラと笑って楽しみながら、遊ぼうよぉと戯れてきました。
彼女が人肌恋しくて、そうしてきていることはとうに分かっていました。
そして、なぜ彼女が求めているのかもなんとなく分かっていました。
でもこれは間違っている。
続きをおこなったとて、
これは動物的行為である。
でも彼女はきっと分かっている。
分かったうえで頼っている、と思う。
そして、私もきっと与えられるだろう。
だけど、これで一時的に彼女を喜ばせることが出来ても
この一回で彼女が永遠に救われるわけではない。
むしろやったら最後、彼女に記憶を残してしまう。
私が本気で好きならばもちろんそこも背負う覚悟だが、
私はまだ、次を与えられる保証ができない段階。
(そうか、私と出会ってきた男性たちも、こんな気持ちで私のことを引き剥がして家路についていたんだな。
なんて最高に男前な奴らだったんだ。男性ってすごい生き物だ。どいつもこいつもカッコ良過ぎだろ!)
と、男性側の物語を今まさにリアルタイムに体感しながら
(ううん、それでもいいの。遊びの一回で十分なの、)
という女性側の物語も、
同じ女性として今まさにリアルタイムに体感する。
私はどうすべきだろう?
だいたいいつもこの辺で彼女を引き剥がして逃げるように帰っていた。
だけどその日は
私も自分の力の及ばないことに直面していた夜だった。何もできないことに悩んでいた時期だった。
そして今までの男性たちのことを想った。
そして今までの私の物語を想った。
そしてちょうど自分の悲しみに彼女の悲しみが重なったとき、
やってやる、と思った。
自分に無いものを全部埋めるように
無いもの欲しさに今ある全てを
一晩中彼女に喰らわせ続けた。
そしたらこんなに喜んでもらったことはなかった。
男性とやるのとはまた違った感覚だった。
最初は彼女のオンナくさい体臭が苦手だった。
でも仕事は全部丁寧で素晴らしかった。
家に上がったら、家全体が悲しさでジメジメしていた。
でも出てきた料理は全部愛情がこもっていた。
彼女はいつも平気を演じていた。
毎日一生懸命生きていた。
職場で誰よりも明るいおはようを配っていた。
エマちゃんが来てくれてから毎日とっても楽しいのと言っていた。
エマちゃんと全部おそろいがいいのといつも同じジュースを買っていた。
エマちゃんのことが大好きなのと同じ本や漫画を読みたがった。
内面からキラキラ輝き始めた。
肌艶がいっそう綺麗になった。
場所を選ばず触ってくるようになった。
どこでもすぐにやりたがった。
エマちゃんといると嫌なことを全部忘れられるの、と言った。
聞いたらドロッドロの不倫だった。
彼女がいま生きているのが不思議なくらい壮絶だった。
彼女が自分の股間に跪き、女性らしく得意げに奉仕するたびに
「あぁ女性という性は、なんて健気で可愛らしい生き物なんだ」と思った。
世の女性という生き物は、好きな相手に自分の好きを思う存分遠慮なく伝えてもいいと分かったとき、こんなにも可愛らしくなるのかと驚いた。
そしてこんな経験をさせてもらえるなんて自分はなんて恵まれているんだと思った。
こんなにもらってばかりでいいのだろうかと、不安になるくらいだった。
「こんなにもらってばかりでいいのだろうか」
そういえば女性より男性の方がそんな感じのことをいつも言うよなぁと思った。
それがきっとこんな感覚なんだとしたら
女性という性は、なんて深くて偉大で美しいのだろうと思った。
これを世の女性たち一人一人が持っていて、
それを引き出せるのが男性という性で、
女性の人生を変えること、女性を抱くとはこういうことなのかと、
だとしたら男性の力って本当にすごいなと、
私は彼女と体を重ねれば重ねるほど、
「男性」というものに激しく恋をした。
自分には男性器がついていないから、彼女を完全に満足させてあげることなどできないし、彼女の埋めたい心の穴を完全に埋めてあげることなど、どう頑張ってもできない。
いまのこの二人の世界には存在しないもの。
彼女を満足させてあげられない唯一欠けたもの。
「かわいいよ」
私が彼女の前で果てると
満足そうに彼女は微笑んだ。
「いいよ。エマちゃんは男の子が好きなままで。私も男の子、大好きだから」
私が彼女の中にある
女性という性を目の当たりにしたように、
彼女もまた、私の中の女性という性を引き出して目の当たりにしていたのかもしれない。
そして、彼女もまた
私と体を交わせば交わすほど
「男性」という性に恋焦がれ、
私を満足させてあげられないことに傷ついていたのかもしれない。
* * *
モアザンワーズと、IN THE APARTMENTと、続IN THE APARTMENT
朝人は本当にカッコいい。強い。
そして男らしい。私の永遠の憧れだ。
わたしは朝人とちがって、
あのあと彼女からあっさり逃げてしまった。
仕事の区切りがついて、ペアが解散になり、
現場が変わったのを良いことに、
メール一通だけ送って彼女の前から突然消えた。
私は「男性」にはなれなかった。朝人のように強くは居られなかった。
今でもときどき後悔する。
そして、もし逃げなかったらどうなっていたのだろうと。
「恋は欲しがるもので愛は与えるもの」
これでよかったのだろうか?
彼女はあの後ちゃんと幸せになれただろうか?
私は少しは与えられたのだろうか?
あの時私は
彼女に恋はしなかった
でも愛はあった。 と思いたい。
恋は欲しがるもので、愛は与えるもの。
母のこの言葉が、今でもずっと耳に残る。
私は女性、そして男性が好き。
そう決定的に思い知った出来事が、
これ以前にも実はあった。
学生時代にとある男の子を好きになった。
彼の芸術センスはとても素晴らしくて、彼も私の芸術表現を大絶賛していた。
お互い良きライバルであり、良き理解者であり、共に切磋琢磨した。
私は彼が好きで、
パートナーになりたいと言った。
でも彼は、男性が恋愛対象だと言った。
「君にペニスさえついていれば、とっくに僕から告ってた。でも君は男性になってくれないでしょ?」
「うん。私は女性の体の私が好き。男性の体になれるほど私は愛しきれない。中途半端なことしてごめんなさい」
夕陽のしずむ教室で、セックス以外はなんでもしようねと、お互いに誓い合った。
男性・女性を飛び越えた、人間と人間。
人間が人間を愛するだけなのに
どうしてこんなにうまくいかないのだろう。
ただでさえうまくいかないのだから、
男性だから、女性だからで括ってしまうのは
もっともったいないし、もっとうまくいかなくて当然だ。
じぶんにないものに気づくから、それを求めて恋をする。
じぶんにあるものに気づいているから、それを与えようと愛す。
その対象が、この地球上で、この広い世界で
短い人生の中で偶然見つかっただけでも
ものすごいことじゃないか、と私は本気で思う。
いろんなルールはあるけれど、いろんなシガラミはあるけれど
『好き』を無理に言葉や定義で分けようとせずに
『好き』は、ただの『好き』でいいと思う。