クレデンザ1926×78rpmの邂逅 #119~トッシャ・ザイデル『スラヴ舞曲第2番』(1927)
トッシャ・ザイデル(Toscha Seidel/оша Зайдель, 1899年11月17日 - 1962年11月15日)という旧ロシア帝国、現ウクライナ出身でアメリカで活躍したヴァイオリニストをご存じだろうか?
最初にお伝えしておくと、ザイデルのSP盤は同時期に活躍した名だたるヴァイオリンの名手たちのそれに較べ、人気がない。
だから安く手に入りやすい。
ザイデルはロシア派ヴァイオリニストの原初とも言うべきレオポルド・アウアーの弟子(13歳でペテルブルク音楽院に入学)。
だからハイフェッツ、エルマン、ジンバリスト、ミルシテインという名ヴァイオリニストたちと同門なのだが、彼らとは少し違った演奏家人生を歩んだ。
ザイデルがレコーディングを最初にしたのは、アメリカ・デビューした1918年の6月。Columbiaにいわゆるヴァイオリンの小品、通俗名曲を録音し始めた。
ただし、データベースで彼が録音したレコードを眺めると、大曲、つまり協奏曲やソナタの類がほとんどない。唯一と言っていいのは、1925年に録音したブラームスの『ソナタ 第2番 イ長調 Op.100』くらいか。
それはザイデルが拠点をニューヨークからロスアンジェルスに移した1930年代後半、彼は隆盛を極めていたハリウッドの映画産業の中にあって、映画音楽を演奏するスタジオ・ミュージシャンに専心するようになったから。
『オズの魔法使い』(ヴィクター・フレミング)、『八十日間世界一周』(マイケル・アンダーソン)、『別離』(グレゴリー・ラトフ)などが、ザイデルのスタジオ・ミュージシャンとしての代表的仕事だ。
晩年はラスベガスの劇場のオケ・ピットが彼の仕事場となった。
「クラシック」と「ライト・ミュージック」・・・。
当然世間は後者の演奏家を前者の演奏家より低い位置にあると見做すことが多い。
ヴァイオリニストとして価値ある仕事とはクラシック音楽をどう演奏、録音し、どれだけの名声を得たか、と。
ただし、ザイデルの残した通俗名曲の数多いSP盤を聴くと、5分間で完結する再生音楽、家庭や社交場で聴くに相応しいエンタテインメントとして、相当考えられ、練られた演奏であることがわかる。
これが純粋な古典音楽であれば、作曲者の意図、楽譜通りの演奏+その演奏家の個性、という範疇で評価されるのだろう。
しかし、とにかく楽しく、心安らぐ美しく弦の音、響きと、さすがプロと思わせるさりげないテクニックの披歴を、、ザイデルはエンタテインメントとして、臆することなく、さらりとやってのけているように聞こえる(実際は簡単ではないはずのことを)。
ちょうど前回、曲の素材のすばらしさと、クライスラーの編曲の妙を素直に表出したマイヤー・ゴードンの『スラヴ舞曲 第2番』をご紹介したばかりなので、それとは異なったアプローチ、「遊び」をたくさん含んだザイデルの演奏で同じ曲を聴いていただこうかと思う。
1927年10月13日、ニューヨークで録音。
因みにc/wはブラームスの『ハンガリー舞曲 第1番』。
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