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【一人旅】何故か急に原爆ドームに行かなきゃいけない気がした日の話(広島 原爆ドーム)

※数年前の話です

昔から戦争の話には人一倍興味があった。
火垂るの墓は見れるのに、もののけ姫は怖くて見れないタイプの子供だった。
学生の頃は体験談の本を読んだり、実際の映像を見て辛い気持ちになったりした。

愛知県民は高校の修学旅行で広島・原爆ドームに行く人が多い気がする。
でも私の高校は長野だった。
周りの友達が原爆ドームの感想を言ってるときに、リンゴ狩りの話しかできなかった。
原爆ドームにはずっと行きたいと思っていたのに、機会を逃し続けてきた。

友達と旅行に行く時、
目的地を原爆ドームにできる人ってどれくらいいるだろう。
私はなんとなく、旅行先に広島とは言えても、具体的に原爆ドームの名前を出すことはできなかった。
いやそれ行ったし!と言われる気もしたし、
戦争関連の施設に一緒に行って、語り合うのって難しかろう。

でも日本国民たるもの、絶対に一度は行かなきゃいけない気がしていた。
その思いは年々高まり、20代後半のある日ついに思い切って一人旅することに決めた。

泊まりで行きたかったけど、なかなか日程も滞在先も合わず日帰りを選択した。
名古屋から広島は新幹線で片道2時間半程かかる。
朝イチで出ても、滞在できる時間はかなり限りがある。
こうして1人弾丸ツアーが幕を開けた。

早朝1番で広島到着

到着早々、路面電車で原爆ドームへ急ぐ。
駅から2㎞ 普通の街並みをすすんでいく路面電車。
最寄りについても、そこに戦争遺構が残っているような様子はみられない。
なんなら降りた目の前におりづるタワーなる複合施設があり・・・

この近くに本当にあるのだろうか?と思いながらナビを頼りに歩いた。

けれど、その瞬間は突然訪れた。
目の前に広がったのは、私がずっと見たいと思っていた原爆ドームだった。

ついに原爆ドームと対面

圧巻。
大正4年広島県物産陳列館として建てられた。
そして戦争中の原子爆弾投下、
爆心地の至近距離で建物は崩壊、中にいた人たちは全員即死したとのこと。

言葉にならない気持ちが溢れる

爆発によって壁が抜けている。
頂上の円盤鉄骨からドームと呼ばれるようになったらしい。
近くに行って何度も写真を撮る。
この気持ちをうまく言葉に表せない。

細かなひび割れさえも目に焼き付けた

本当に、本当に貴重な経験ができた。
そして広島平和記念資料館へ。
写真がないので、記念館のHPを載せておきます。


時期的に修学旅行生の集団が本当にたくさん居た。
平和記念公園や資料館の外観写真は撮ったけど、人が映りこみすぎているからアップはやめときました。
被爆者の方の遺品や当時の写真、貴重な資料に胸を打たれました。
どうして何の罪もない人たちがこんな目に合うんだろう。
どうして同じ人間同士で戦い合わないといけないんだろう。
昨今は世界情勢もとても不安定ですが、戦争なんてなくなればいいのに。
月並みな言葉だけど、これに尽きる。

平和記念資料館見学の証


見学を終え、再度原爆ドームを眺めて
ようやく行くことが出来た…と1人かみ締めた。
やっぱり行けて良かった。実際に行かないと、目にしないとわからない景色だった。

ここまで真面目に書いてきましたが・・・
この後はこれまたどうしても行ってみたかった宮島に向かいました。
宮島についてはテンションが変わってくると思うので、また別記事にします。

宮島から市内に戻ってくる頃にはすっかり暗くなっていました。

キリンビールの看板が目立つ

最後に広島らしいものを食べようと思い立ち
事前に頂いていたクーポンを頼りにお好み焼き屋さんへ🚶‍♀️

広島お好み村 あとむ

餅チーズ焼きにしてみました。
広島のお好み焼きは普段食べるもの(混ぜ焼き)と違って重ね焼き。
麺も入ってて、生まれて初めて食べたけどどっしりしてて美味しい!!
鉄板の上で食べるから、ホクホク。
お店では常連さんたちが熱いカープ談義してたのが印象的でした。

そんなこんなであっという間に一日が過ぎ…
自宅に戻ると弾丸ツアー明け恒例の激重疲労感でバタンキューしたのであった。


私、絶対に長崎の原爆資料館・平和公園にも行きます。
絶対に行くんだ。

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