【地方移住】春を待つという感覚について【新潟県長岡市】
冬はやっぱり寒いなあ
地方移住して初めての越冬。
日照時間の短さやリモートワークを中心とした仕事環境も影響してか、しっかり冬季うつにもなりました。
やっぱり冬はしんどいね。どーもね。
北海道出身とか関係なく、雪のある曇りの多い冬は大変。
部屋も寒いし、外に出るのも億劫だ。
でも、だんだんと楽しみになっていることがある。
ふつふつと湧き上がる楽しみ。
それは、「春」は必ずやってくることだ。
春が二階から落ちてきた
これは個人的に好きな小説の冒頭だが、僕の待っている春はこんなに唐突には来ない。じわじわと、そして確実にやってくるものだ。
ちなみにこのnoteを執筆している現在では、春の気配は全くしない。
まさに今渦中にある寒さ・辛さを早く蹴とばしてくれないかと願っている。
そしてこの感覚は私が東京にいる間にはなかった感覚だ。
東京に住んでいた時、ここまで春を熱望したことはなかったと思う。
どちらかというと、過度の花粉症なので来ないでほしいとさえ思っていた部分もある。
どうして、こんなにも春が待ち遠しいのかを分析してみると、地方移住したことの恩恵があるかもしれない。
春が待ち遠しい理由
これはもう一言で言える。「冬がつらい」からだ。
でも東京に住んでいた時、「冬がつらい」という感覚は少なかった。
むしろ夏・梅雨以外はあまり変化がなく春と秋と夏しかない気さえもする。
思い返してみると、ほとんど電車の中だったり、地下を歩いたり、家の中にいたりと外で過ごすことが少なかったから、気温の変化を感じることよりも空調の中で生きていることが多かったことも影響するのだろう
空調の中で生きることは便利なことが多いと思うが、決定的に季節感を阻害する一因にもなっているのだと思う。
空調から解き放たれた
私は新潟県長岡市に2021年9月に地方移住を行った。
そのタイミングで空調からも解き放たれた。
解き放たれた後の世界は、しっかりと五感に訴えかける空気に満ちていた。
この感覚は都内ではなかなか得られない。
そしてこの五感を研ぎ澄ませるといろいろわかることがある。
この後雨が降りそうだ、空気が澄んできた、湿気がうぜーな、etc…
空調で管理されていない分、好き嫌い・良し悪しはあるだろう。
その分研ぎ澄ますとわかる感覚の1つに「季節感」が強制的に含まれてくる。
強制的な季節感
ここが東京で暮らしていた時には希薄だったものだと思う。
東京では自分から季節感を得に行かなければ、基本的に同じ毎日のリピートになる。それはそれでありかもしれないけど、私はごめんだね。
春・夏・秋・冬などのハッキリした季節感もいいのだが、私が好きなのはもっとファジーな季節感だ。
春と夏の間、夏と秋の間は好きだ。
秋と冬の間は嫌いだ。
冬と春の間はとにかく待ち遠しい。
この季節の間にこそ、私は豊かさを感じる。この中間の期間は、狙って得に行ったとて、そうそう得られるものではない。
こういった期間は、常にさらされていないと気付かないものになると思うし、常にさらされると慣れて価値に気付けなくなる大事なものだろう。
空調から解放されることで得られるものは、なかなか言葉で表すのは難しいが確かな気づきや豊かさにつながっていると私は思う。
終わりに
通年同一温度・湿度で管理された安定した世界はとても暮らしやすいが、もともと感じていた季節感を失ってしまう要因にもなっているのだろう。
そして、季節感があるからこそ日常生活に変化が生まれて、同じようなるリピートにもなりにくいのだと思う。
リピートではないから生きていくためにも工夫が常に必要になるし、決断も多い。それが個人的にとても楽しい。
でも、冬はきっついし、きびしーので勘弁してほしいなぁと思う反面、
春をとにかく待っている自分を形作る1つの要因が冬なんだろうとも思う。
なんつーか、マッチポンプな話だよね。
マッチポンプな話でした。
バボでした。
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