長い旅の始まり
2001年9月11日。この日はアメリカで歴史的に大きな事件のあった日だが、実は株式会社ビアスタイル21にとっても、GARGERYにとっても、大切な意味がある日だ。株式会社ビアスタイル21はもともと大手ビール、キリンビールの社内ベンチャーとして設立されたことは何度も触れているが、この事業を企画した最初の2名、つまり佐々木正幸(現 醸造責任者・元 社長)と僕、別所弘章がプロジェクトメンバーとして初めて顔合わせをした日が2001年9月11日なのである。
当時の僕の配属先は岐阜支店のいわゆるビール地方営業で、佐々木はビール工場で品質管理の仕事をしていた。会社の公募制度でこのプロジェクトメンバーに応募して2人が選出され、新しい配属先となる本社企画部でプロジェクトの進め方を確認するために上京した、というシチュエーションだ。
当然この段階ではGARGERYの「ガ」の字も存在しなかったのだが、二人が事業計画作りに向けてスタートを切ったということで、この日がGARGERY誕生へつながる起点だったと言うこともできる。
事業計画づくりと言ってしまえば綺麗だが、最初はそんな感じではなく、新しいものを生み出すために、全く異なる経歴を持ち、やりたいことも異なる佐々木と別所がお互いの想いをぶつけ合う、ある意味「対決」だったかもしれない。そして、喧々諤々の議論をしながら、初めて「方向性が見えた」と感じたのは、二人でイギリス、ベルギー、オランダと、視察旅行をしていたときだった。
(※ビアスタイル21とキリンビールの資本関係は2007年に解消されている。)
写真はその20年前に、僕が撮ったもの。
ロンドンでは、当然パブを巡った。
伝統的な英国パブ、歴史的な古いパブ、当時注目されてきていた新興業態のガストロパブなどで、ビールと共にゆっくりと時間を楽しんでいる現地の飲み手のふるまいにも目を向けた。
その中で二人の対話は、プロジェクトで造りたいビールとして「ビター&スタウト」というキーワードにたどり着いた。GARGERYブランドのスタートがスタウトになる方向が見えた瞬間だった。
そして、ベルギーへ。
ブリュッセルとその近郊で、当然ビアカフェを飲み歩いた。
ランビックビールを造るカンティヨン醸造所を見学。
日本の大手メーカーでは考えられないビールの製造工程を目の当たりにし、そこで醸される自然発酵ビールの鮮烈さに感銘を受けた。日本に輸入されているものとは全く違う、ビールに長距離の旅をさせず、最良の「コンディション」で飲むことの大切さにも気づかされた。
数百もの銘柄、幅広いビアスタイルに触れ、
ブランド毎に決められた個性豊かな形状のビールグラスは、ガージェリーのオリジナルグラス「リュトン」の発想につながった。
旅の終わりはオランダ。この旅で、ドイツに寄らなかったのは、日本の大手ビールは比較的ドイツのビール文化に影響を受けていることから、敢て異なる文化をと思ったからだ。
アムステルダムは視察というより帰りの飛行機の都合だったのだが、その超大手ビールのお膝元でも、
小さな会社の個性的な銘柄がしっかりと根付いていることを感じた。勢い余って、ジン(イエネーファ)まで飲んでしまったが…(笑)。
そんな旅を経て、プロジェクトの方向性が固まったのだった。日本に戻り、事業計画に手をつけることになる。
最後はベルギーのビアカフェで撮った写真。佐々木と別所のツーショットは、この20年で、なんとこの一枚だけ。残念ながら佐々木は目をつむってしまっているが。
事業をスタートさせてから一番大事にしてきたことは、僕らが送り出したGARGERYビールをサーヴしてくれている飲食店の皆さんに会いに行くこと。だから、手分けして別々にできる限り多くのお店を回ろうとしてきた結果だと思う。
2001年9月11日に始まったビールの旅は、現在この二人に若い座間も加わって、まだまだ続いている。世代交代も視野に入ってきたけれど、もう一息、前に向かって進んでいきたいと思う。
<2023年9月に一部加筆修正>