仏教的帰依の始原へ 草稿1
仏教的帰依の始原へ
初期仏教の教えはパーリ語で伝えられていますが、初めてパーリ語の三帰依と出逢ったのは、中村元・三枝充悳著『バウッダ』を手にしたときでした。あれからもう30年ほど経っているでしょうか?
ブッダン・サラナン・ガッチャーミ (仏に帰依し奉る)
ダンマン・サラナン・ガッチャーミ (法に帰依し奉る)
サンガン・サラナン・ガッチャーミ (僧に帰依し奉る)
すぐにパーリ文三帰依を覚えて暗誦するようになりました。
その頃、ある友人とパーリ文三帰依の話をしていたら、それ覚えていると言うのです。
NHKの仏教を扱った特集番組で聞いて、「あれ、これ覚えてる」と思ったそうです。
子供の頃は、たくさん意味の分からない呪文のような言葉を、もっと沢山覚えていたと言います。
そんな不思議な話もありました。
(最近またその友人と話したとき、ダンマン・サラナン・ガッチャーミの意味を知って驚いたと言っていました。)
パーリ語を学ぼうと思ったきっかけは、石手寺の加藤俊生さんのスッタニパータ解釈*1を知って、その妥当性を検証しようとして、諸翻訳を読み比べてみて、それぞれ全く読んだ印象が違ったためです。原典に当たって翻訳を検証する必要性を感じました。
そこで文法書、読本などを購入して、その中で ”A NEW COURSE IN READING PĀLI” に取り組むことにしました。そしてLESSEN 1 の最初の課題が三帰依でした。問題文の後にGLOSSARY(語彙集)と文法事項の解説がついています。
buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi
dhammaṃ saraṇaṃ gacchāmi
saṃghaṃ saraṇaṃ gacchāmi
三帰依は三度繰り返すので、二度目には dutiyaṃ pi(再び)、三度目は tatiyaṃ pi(三たび)を各行頭に追加して唱えます。
帰命頂礼というぐらいですから、全てを投げ出して全托する、そんな意味になると思っていました。英語で言うとサレンダーですね。
名詞・形容詞などは、数(単数・双数・複数)、性(男性・女性・中性)、格(日本語で言うと「てにをは」が付く形)ごとに変化します。
buddhaṃ は buddha が格変化した形で男性・対格(accusative case)、 一般的に「〜を」に相当する直接目的語になります。取り敢えず「ブッダを」にしておきましょう。
saraṇaṃ も同様で、saraṇa の中性・主格もしくは対格(中性名詞は主格と対格が同形であるため)、「saraṇa は」か「saraṇa を」になります。 saraṇa を語彙集で見ると、refuge, protection、refuge なら「避難、避難所」、protection なら、「保護」でしょう。
あれ、帰依はどこに行ったのでしょう?頭が混乱してきました。
次の gacchāmi は動詞になります。
語彙表で見ると gacchāmi はありませんが、三人称単数現在の gacchati があり意味は goes とあります。パーリ語の辞書では三人称単数現在の形が見出し語になるのでこうなっています。
それで gacchāmi を動詞の活用表で見ると一人称単数現在の形です。「私は行きます」ですね。「私」という人称代名詞はありませんが、動詞の活用から主語が「私」であることが分かります。
これで最初の文を読む準備ができました。
主語は「私」ですから、サラナは主格ではなく、対格であると分かります。
対格が二つ並んでいる(同格)ので、「ブッダであるサラナを」になるでしょう。
「行く」に相応しいサラナの訳語となると「避難所」でしょうか。
するとこの文は「ブッダである避難所を私は行きます」?
ちょっと日本語としておかしいですね。
それで水野弘元『増補改訂 パーリ語辞典』を見ますが、「行く」の意味の他には活用の一覧しかありません。
それでオンラインの Pali Text Society の Pali-English dictionary を引いてみました。
すると項目の 4. のところに目的地を対格で示すとあります。
https://dsal.uchicago.edu/cgi-bin/app/pali_query.py?qs=gacchati&searchhws=yes&matchtype=exact
これで最初の文は「ブッダである避難所に私は行きます」と訳せました。
しかし、本当にこれで正しいのか確信が持てませんでした。
『増補改訂 パーリ語辞典』で saraṇa を引いてみましたが、「帰依、帰依所、隠家」としか出ていません。「帰依所」が「避難所」なのでしょうか?
パーリ語の三帰依で検索してみると、英語の表題が Three Refuges となっているものが出てきました。また英語の Wikipedia で、ここの文章がこう訳されていました。
I take refuge in the Buddha.
「ブッダに避難いたします」、やはり帰依は避難することのようです。
帰依がサレンダーであれば、自己の意思を捨てて、ブッダに全てお任せするということになりますが、避難であれば、帰依は自己の意思に基づいて行うもので、意志の放棄とは関係ないことになります。
こうしてみると、三帰依の帰依は、もともと「依(拠り所)に帰する」という意味であったのではないかと思い至りました。
そうすると漢訳の帰依仏は、buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi を単語一つにつき漢字一字で置き換えた逐語訳に見えてきます。
buddhaṃ=仏、 saraṇaṃ=依、 gacchāmi=帰と置き換えて、中国語の語順にすると帰依仏となるわけです。
それで私の訳はこうなりました。
ブッダなる避難所に私は行きます。
ダンマ(法・教え)なる避難所に私は行きます。
サンガ(僧伽)なる避難所に私は行きます。*2
ここまで考えてきて、サラナがブッダの遺訓に繋がっていることに気がつき愕然としました。
ブッダの遺訓とは自らの死に備えてアーナンダに伝えた言葉、「自らを洲とし自らを拠り所として他を拠り所としない者として、法を洲とし法を拠り所として、他を拠り所としない者としてあれ」です。
この「拠り所」がサラナだったのに気づいたのです。中村元訳ではこうなっています。サラナの訳語を太字にしています。
「それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。」*3
大パリニッバーナ経の原文を見てみましょう。
tasmātihānanda, attadīpā viharatha attasaraṇā anaññasaraṇā, dhammadīpā dhammasaraṇā anaññasaraṇā.
tasmāt(それゆえに) iha(ここにおいて) ānanda(アーナンダよ)
attan(自ら、自己[Sk. ātman])dīpa(洲、島) viharatha(あなた方は〜でありなさい)
saraṇa(避難所) anañña(他ならぬもの、そのもの)dhamma(法、ダンマ [Sk. dharma])
こうしてサラナに続いて二つ目のキーワード、ディーパを手に入れました。ディーパは洲や島と訳されていますが、語源を遡ると ヴェーダ語でdvīp、dvi+ap に分解され、dvi は二つ、ap は水で、水に挟まれた土地を示します。
スッタニパータの中村元訳では洲という訳語が使われています。*4 河川の洪水と、洪水でも沈まない中洲をイメージしていたのですが、スリランカも dīpa ですし、須弥山を囲うようにしている四つの巨大な島(南贍部洲、東勝身洲、西牛貨洲、北倶盧洲)も dīpa と呼ばれています。日本の河川のイメージだと洪水で沈水しない中洲はイメージしにくいので小山のようなものでしょうか?いずれにせよこの世の苦難を大洪水(ogha、暴流)に喩え、その激流から逃れるために頼りにすべき沈まぬ土地がディーパと呼ばれています。
三帰依とブッダの遺訓を比べてみると、自己とダンマという二つの避難所としてのサラナから自己が消え去り、ブッダとサンガ(僧の集まり)が付け加わって成立していることが分かります。
もともとブッダの教えの中には自己のネガティブな面だけでなく、ポジティブな価値評価が含まれていましたが、自己が消えたのはブッダの後継者たちがそれを軽視したためでしょうか?
ブッダの教えの中にそれがどのように示されていたかは、中村元『中村元選集[決定版]第15巻 原始仏教の思想I』「第二編 人間存在の反省、第五章自己の探求–無我説」を見て頂きたいのですが、一つ引用しておきましょう。537頁
「他方これに反して理想として実現されるべき自己は、人間がつねに追求すべきものである。それは当為的規範的性格を有する。
『自己こそ自己の主[あるじ]である。他人がどうして〔自分の〕主であろうか。自己をよくととのえたならば、得がたき主を得る。』(Dhp, 160)
『みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることができない。』(Dhp. 165)
したがって自己は自己にたよらなければならぬ。このような理想的自己は大海のなかの島のようなものである。
『たとえば大海の波のように、生と老いとが、そなたを圧倒する。だからそなたは自己のよき島(よりどころ)をつくれ。けだしそなたには、他のよりどころがないからである。』(Therag. 412)
ー中略ー
真実の修行者は『自己を島(よりどころ)として世間を歩み、無一物で、あらゆることに関して解脱している。』[Sn. 501]と説かれている。」
「釈尊も『われは自己への帰依をなした』と説いたと伝えられている。」538頁
注 kataṃ me saraṇam attano. 光明寺訳「わたしによって自らの帰依所は作られた」
*1 私が衝撃を受けた加藤俊生さんの論考を紹介しておきます。
本来の仏教 ブッダの真実
http://nehan.net/buddha-dharma/bukkyounyuumon12.pdf
仏教入門3 最古層の経典の変遷
http://nehan.net/buddha-dharma/bukkyounyuumon3.pdf
*2 このように直訳している例をなかなか見つけられませんでしたが、ひろさちやが全くこの通りに訳していたのを最近知りました。
“『三帰依文』の「ブッダン・サラナム」は「仏陀というサラナ」という意味で、「ガッチャーミ」は「わたしは行きます」という意味ですから、「わたしは仏陀というサラナ(避難所)に行きます」という意味なのです。次の「ダンマ」は「仏さまの教え」ですから「わたしは仏さまの教えというサラナに行きます」という意味です。「サンガ」は「僧」ですから「わたしは僧というサラナに行きます」という意味なのです。
『明日への家庭』ひろさちや・木村治美・三橋健・村瀬嘉代子著 17頁
これに対して、木岡治美『読めばわかるパーリ語文法』108頁で対格の用法の例文に三帰依のこの文を挙げていながら、直訳できずに次のような二つの訳文を与えています。
“私はブッダを(buddhaṃ)帰依所として(saraṇaṃ)行きます(gacchāmi)。
私はブッダに(buddhaṃ)帰依(saraṇaṃ)します(gacchāmi)。”
*3 『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』岩波文庫 65頁
*4 スッタニパータ、dīpa 501, 1092, 1093, 1094, 1145