夫がくも膜下出血で倒れた話③
こちらの続きですm(__)m
手術~入院までになりそう。
※ハードな内容なので、辛くなりそうな方は読まないでください。
救急車を呼んだのが早朝5時前。
緊急措置に入ると告げられたのは6時半頃。
夫が措置に入ると運ばれたのち、私はICUの隣家族待合室というところへ通された。
それまで過ごしていた冷たいロビーとは雰囲気が異なり、ゆったりとしたソファや自由に飲める飲み物サーバーが設置されていた。
冷静に書類に目を通したり、涙があふれて動けなくなったり、私の感情はかなり忙しかった。
最初に案内してくれた方も、書類を持ってこられた方も、看護師さんはみんな優しく、書類なんてあとでいいよ、ティッシュ持ってくるね、少しでも休んで、と声をかけてくれた。
夫の両親が到着。発症時の状況を伝える。
お義母さんはチルドカップのカフェラテを持ってきてくれた。
お義父さんはあまり座らず、待合室の外を歩いていた。
子どもたちは措置に入る頃にちょうど目が覚めたそうで、母からサンドイッチを食べる2歳息子の写真が送られてきた。
実家に連れて行っておくから、心配しないでとのこと。
ほぼ無言の家族待合室。
スタッフの人が念入りに消毒をしに入室するほかは他に誰もいなかった。
途中、夫の弟も駆けつけてくれた。
措置にかかるのは2時間か3時間か…と言われていた。
長い長い不安な時間を過ごし、10時をまわった頃、「終わりました」と、ようやく声がかかった。
医師からの説明。おおまかにはこうだ。
措置はうまくいった。
コイルを詰めた関係で、周辺部の毛細血管から脳梗塞を引き起こす可能性は今後ゼロではないが、若いのでリハビリである程度のことはできるだろう。
脳内の出血が多量で、腰に入れた管を通じ、今後時間をかけて排出していく。
今後2週間はひどい頭痛が続くだろう。
また、身体の麻痺が生じる時期にもなる。
当面ICU管理、入院。仕事はとてもできない。通常の生活に戻るのは、麻痺の具合やリハビリの進行次第で時期もはっきりとはわからない。
くも膜下出血のなかでも、命の危険の高い症状だったようだ。
半分は即死とも言われた。
命があったのは、夫の迅速で賢明な判断に、いくつかの幸運が重なったからだろう。
検温、消毒ののち、特別にICUに通された。
私と義両親の3人が入室した。
薬で眠る夫がいた。生きている。
点滴や、管や、いろいろなものがくっついている。
184cmの大きな身体はベッドの上でぐにゃりと曲がって、それでも足がはみ出ていた。
「起こしていいですよ、声かけてあげてください」
医師に言われ、恐る恐る「パパ」と呼ぶ。
瞼が動いた。
「みねさん、手、動く?」
医師の問いかけには反射的に反応するのか、何とか両手をあげてみせていた。
スタッフに声をかけられ、また書類に署名する。
痛みで暴れる人もいる。転落すると管が外れて危険なので、その時にはベッドに拘束してもいいですか?
…と、そんな内容の書類だった。
そんなに痛いのか…
諸手続きの間に、義両親は家族待合室に戻っていた。
緊急事態宣言下、もう次に会えるのはいつかわからない。
病状が病状なので、夫のスマホも本人には渡せず持ち帰る。
お別れ前に、声をかける。
夫のことは、子どもが生まれて以来、ずっと「パパ」呼びしていた。
本当に久しぶりに、名前を呼んだ。
「かずくん。」
瞼が開いた。
「かずくん。頑張ったね。ゆっくりしてね。大好きだよ。」
措置前には何も言えなかった。
今も、なんて言っていいかわからなかった。
それしか言えなかった。でも、それだけ言えた。
夫はなんとか頷いてみせてくれた。
午前11時過ぎ、病院をあとにした。
義両親が、子どもたちの待つ実家に送ってくれた。
今日はこのあたりで。④に続く。