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一生で一番長い夜のこと

8年前の今夜は、たぶん一生で一番長い夜だった。
(※具体的な記述は落としていますが、出産時のことを書いています。苦手意識のある方は読み飛ばしていただきますよう。)

2013年8月7日朝、シャワーの途中で違和感を覚え、病院へ連絡。
すぐに来てくださいとのことだったのでタクシーで向かうと、「高位破水(ちょろっとだけ破水するやつ)」との診断。
いよいよ、お産が始まる。

すぐさま入院となり、陣痛または破水を待つことに。
それらしい痛みは来るものの、「あ、いた!」程度。感覚もまばらだ。
本格的な破水もなし。そのまま夜を迎えた。

胎児の感染防止のため、高位破水後24時間経過しても出産への兆候が見られない場合は、人工的に破水を起こすという話を事前に聞かされていた。
「この夜の進みがキモだな…」なんて思っていたのに、翌朝を前日の入院時といくらも変わらない状態で迎えることになった。

8月8日午前、人工破膜。
それまで感じていた痛みの質が急激に変わるのが分かった。

少しずつ、子宮口が開く。
痛みもどんどん辛くなっていく。

8日夜を迎える頃、「自然な進みに切り替えてみましょう」と、いつからか投与され続けていた陣痛促進剤をストップされた。
先に結果を言うと、私は8月8日から9日の一晩を、子宮口6センチのまま越えることになった。

いつまでも、終わらない夜だと感じた。
陣痛と陣痛の合間の数分、眠りに落ちそうになっては、また引きずり戻される。
朦朧とする意識の中、下半身の不快感にこれでもかというぐらいトイレに立った。
日付が変わるかどうかの頃、母が差し入れを手に応援に来てくれたが、とても会えるような状態でなかったため、引き取ってもらった記憶もある。
泣き言もたくさん漏らした。

一生で一番長かったこの夜、夫はずっと私に付き添ってくれていた。
痛いところをさすり、トイレを何十往復も介助する。
リラックスのためにかけていたはずのCDが何度もリピートされる間も、私のお産は進まない…「もう、それ止めてよ」と、夫は何も悪くないのに罵倒してしまう私。
けれど夫は、ずっと寄り添ってくれていた。

徐々に疲弊していく中で、胎児の心音はずっと逞しい音を立て続けていた。
この音と、夫の存在が、明けない夜の数少ない支えだった。

朝を迎え、促進剤投与再開。
それでも進みは決して早くなかったし、分娩台に上がってからも苦難は続いたけれど、一進も一退もしなかったあの夜に比べると、それらは体感30分程度のものだった。

2013年8月9日15時58分。
長い長い長いお産にめげもせず、取り合ってくれた先生が「声のふとか~」と思わずつぶやくぐらいの大きな産声を上げて、彼女は産まれた。

あの夜から、8年。
穏やかな表情で眠る彼女の横には、産まれた時と全く同じ寝顔をしている3歳の息子。
そして、汗っかきの息子の肌着を取り換えるべきかと、彼の首元を確認している夫。
なんてありがたいんだろう、と言うほかない。

月並みだけれど、娘ちゃん、産まれてきてくれてありがとう。
明日は、4人でいっぱいお祝いしようね。

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