クリムト展@東京都美術館より <オイゲニア・プリマヴェージの肖像>
クリムト、<アデーレ・ブロッホ・バウアーの肖像I>、1907年、ノイエ・ガレリエ(ニューヨーク)
クリムト、といえば、「黄金様式」。
私も、長くそのイメージにとらわれていた。
たとえば、<ユディトI>や、そのモデルになったとされる女性を描いたこの<アデーレ・ブロッホ・バウアーの肖像I>(残念ながら今回は来ていない)。
画面全体を埋めつくす、眩い黄金装飾の中から微笑みかけ、見つめる美しい女性アデーレ。
今にも声が聞えてきそうな、半開きになった口のせいか、それとも胸の前で組んだり、あるいは時に自分が討ち取った敵の首を愛撫する動きを見せる、手の描写のせいだろうか。
一度、見れば忘れられない。全体から醸し出される妖しさ、あるいは彼女の眼差しが、標本用のピンとなって、見る者をその場に縫い留める。
最近出版された『(別冊太陽)クリムトとシーレ;世紀末ウィーンの革命児』の表紙にも、この<アデーレ>が採用されている。<接吻>と並ぶクリムトの代表作、名刺代わりにもなりうる一枚であることは疑いようもない。
正直、今回のクリムト展で、この作品が来ていない事は少し不服だった。
しかし、肖像画を集めたセクションで、一枚、私が惹かれた一枚があった。
それが、この<オイゲニア・プリマヴェージの肖像>である。
クリムト、<オイゲニア・プリマフェージの肖像>、1913~14年、豊田市美術館
薄暗い会場の中で、まず目に入ったのが、背景の黄色の鮮やかさだった。そして中央で、まるでヴェネツィアグラスのミルフィオレのような装飾の中に包まれて立つ、ふくよかな女性オイゲニア。
「綺麗だなあ…」
素直にそんなことを思った。
右上に描かれた東洋風の鳥のモチーフも、風変わりで面白い。
部屋に飾るとしたら、<アデーレI>よりはこちらを選ぶかもしれない。あるいは、今回は来ていないが、オイゲニアの娘メーダを描いたこちらの作品を。
クリムト、<メーダ・プリマフェージの肖像>、1912年、メトロポリタン美術館
白いワンピースに身を包み、両足を広げて立つ、ちょっと勝気そうな、10代前半の少女は、今でもどこかで出会えそうな雰囲気を湛えている。
彼女のいる空間が、絨毯の敷かれた子供部屋を思わせるからだろうか。
ちなみに、クリムトはメーダの肖像と同じ年に、アデーレの肖像をもう一枚描いている。
クリムト、<アデーレ・ブロッホ・バウアーの肖像II>、1912年、個人蔵
赤と緑に塗り分けられ、東洋風のモチーフやら花やらがそれぞれに描かれた壁を背に、直立している。
上のIと比べると、全体的に平面的になった印象がある。
匂い立つような空気、今にも吐息をもらしそうな生気がやや弱まっているように思える。衣装の下部は、彼女が踏んでいるはずの床とほとんど一体になっている。
二枚の絵の間にある年月はわずか5年だ。
どちらが好きか、と問われれば、これまではIを選んでいた。
だが、今はどうだろう。
選べない、としか言いようがない。