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ミケランジェロとユリウス二世(メモ)
来週水曜夜の、『美術こぼれ話』は、ミケランジェロの予定。
簡単なメモを。
・1505年 ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ枢機卿、教皇に選出→ユリウス二世として即位
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・同年、ミケランジェロが、ユリウス二世の墓廟制作の依頼を受け、ローマへ
・ミケランジェロは、アイディアをひねり、40体もの彫刻を配した、自立型、三層からなる墓を構想。
〈モーゼ〉の他、〈瀕死の奴隷〉なども、墓に使われる予定で制作されている
・しかし、ユリウス二世の気まぐれにより、墓廟作りプロジェクトが中止に
→代わりに、
教皇「システィーナ礼拝堂の天井画描いて」
ミケ「はあ!?」
・ミケ「俺は彫刻家だっつの!」と反発
一度は仕事を放り出して逃げる(!)
でも、結局はやることに
→何を描くかについては、ユリウス二世から「十二使徒」と指定があったが、ミケランジェロは、より複雑で手間のかかるプランを自ら提案
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→やるからには徹底的に! という人だったのか
・ミケランジェロは、フレスコ画ができないわけじゃなかった
・立ったまま、上を向いて描くため、絵の具は滴り落ちてくる、首がいつも上を向いたまま、手紙を読んだり、食事の時が大変など、問題に悩まされる
・足場は、ミケランジェロ自身が建築技術を生かして設計
・約四年かけてどうにか1512年完成
→1513年、ユリウス二世死去
・墓廟プロジェクトは、政治状況や遺言執行人たちの要望に振り回されつつ、当初より縮小したプランで1545年完成
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・・・当初の計画通りに墓が作られていたら、どうなっていただろう?