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『沈黙の王』~宮城谷昌光さんの小説のこと

 短編を一日に一話は読みたい。

 そう思い、実行に移して一週間が過ぎた。

 目安としては3冊はコンプリートしたい。そう思っていたが、池井戸潤さんの『七つの会議』でとりあえず、それも達成できた。

 さて、次はどうしようか。

 なるべくなら、幅広く色々な人の作品を読みたい。

 一冊をガツガツと読み続けない、とルールを設けている以上、手元にはできれば複数冊用意しておきたいところ。

 そんな折に、立ち寄った書店で、一冊の本に再会した。

 宮城谷昌光さんの『沈黙の王』だ。


 中国史を扱った小説、というと三国志や華やかな唐の時代、あるいは辮髪が特徴的な清朝がイメージしやすいだろうか。

 だが、宮城谷さんが扱うのは、多くの場合、始皇帝が大陸を統一する前、春秋戦国時代だ。

 表題作『沈黙の王』は、その更に前、殷王朝の時代が舞台になっている。

 古代中国の最初の文字である、甲骨文字を作った王、高宗武丁が主人公だ。

 とまあ、偉そうに書いて見るが、馴染みが薄い、イメージしにくい名前、人物であることには変わりない。

 「殷王朝」という名前は、かろうじて漫画化もされた中国の伝奇小説『封神演義』のおかげで知っている。漫画版もかなりアレンジされていたが、原作も、やはり物の見かたなどが、数百年あるいは千年以上を隔てた時代に沿っているなあ、と今では思う。

 呪術などが生活により深く根ざしていた「古代」という時代、王は祭祀を司る神官のトップとしての性格も持っていた。職務の一環として、占いを行って神や霊の意思を確認し、重要な決定をくだしていた。

 そのような時代と、小説が書かれた明の時代、ましてや現代では価値観や物の見方、生活様式、風習が違う。

 そのことを思い知らされたのが、宮城谷さんの初期の作品『王家の風日』を通してだった。

 小説のメインとなるのは、殷の最後の王で、史上きっての暴君とされる紂(受)王。彼の暴虐の一環として語られる、「酒池肉林」には祭祀としての色が込められていたこと、等。

 そういう解釈があるか。

 今回、おそらくは10年以上の時間を隔てて再会した『沈黙の王』にも、この古代の世界観、空気が色濃く漂っている。

 主人公の王子、子昭は、言語障害があり、それが原因で父王によって放逐される。

 時に奴隷として労働に従事させられたり、刺客に襲われたり。

 あてのない旅は、苦難が続く。しかし、その中で彼は経験を積み、成長していく。

 そして、帰還後、王となった彼は、「目に見える言葉」、文字を作る。

 口から発せられた言葉は、その場で消えてしまう。しかし、眼に見える「文字」として刻まれた言葉は、時を越えて残すことができる。

 口から言葉を発することができないために、「王にふさわしくない」とされた王子は、時に千年以上の時を超えて生きる言葉「文字」を作りだした。

 このように一人の王子の成長を描いた『沈黙の王』という話は、「ビルドゥングスロマン」と言える。

 古代中国、という馴染みの薄い世界が舞台ではあるが、読みやすく、読後感もすっきりとして良い。

 胸いっぱいに吸い込みたくなる風のようだ。

 真っすぐで心地よい。

 宮城谷さんの小説は、最初に読んだ『妟子』や、『孟嘗君』など数冊にわたる長編のイメージが強かった。(白状すると、『妟子』を手に取ったのも、「長編に挑戦したいなあ」という動機からだった)

 短編はこの『沈黙の王』くらいだったし、その後長らく遠ざかっていた。

 だが、今回良い本と再会できた。

 一日に一遍ずつでも、今一度、この『沈黙の王』に収められている作品たちと向き合ってみたい。

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