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宮仕えはつらいよ~半沢直樹以上?ミケランジェロの仕返し

「すまじきものは、宮仕え」

 一見華やかに見えても、ドロドロとしたものが渦巻く、ストレスフルな場所―――宮廷。

 そのストレスの源の筆頭は、「人間関係」であろう。
 時に無茶を押し付けてくるパトロン。口さがない宮廷人たち。

 しかし、特に面倒くさいのは、権力者たるパトロン(ナンバーワン)の周りにいるナンバーツーやスリー、特にスネ夫タイプではないか。
 パトロン(ジャイアン)の威を借りて、こちらを見下し、何かと力や知識を振りかざしたがる。
 そのくせ目上には、お世辞を言ったり、こちらの挙げ足を取るようなことを吹き込んだり。

 連中にしてみれば、ナンバーワンからの寵愛の取り分を奪いうる存在が、目障りなのだろう。
 ちょっと手先が器用な、職人に毛の生えたような存在、自分よりも本来なら遥かに下の人間・・・
 見下す言い訳はいくらでも捻り出せる。
 対する芸術家はどうするか?
 振る舞いに気を付ける?
 それとも、半沢直樹流に倍返しを食らわす?

 だが、正直なところ、「倍返し」は危険すぎる。
 自分のこれまでの積み重ねを棒に振る可能性が高い。
 それでも、「パトロンなら向こうから寄ってくる」と開き直れるだけの物を持っていれば、別だろうか。

 「神のごとき天才」ミケランジェロなら、そう思っていても、不思議はなさそうだ。

 1533~41年、システィーナ礼拝堂で、彼が<最後の審判>を手掛けていた時のことである。

 世界史の教科書でおなじみのこの作品―――縦約13メートル、横12メートルの巨大な画面には、400人以上もの人物たちがひしめいている。

 こうして縮小した画像で見ても壮観である。

 しかも、描かれた時は、人物たちの多くが裸体で描かれていた!

 神聖な祈りの場である礼拝堂(それも教皇用)の壁に、筋骨隆々たる(老若男女問わず)裸体がひしめいている様をご想像いただきたい。そのような場所で、祈りに集中できるだろうか?

「ふさわしくない!」

「裸体をこんなにたくさん!」

 制作途中から、苦情の声が多く上がった。

 その中の一人に、儀典長ビアージョ・ダ・チェゼーナがいた。

 ランクは、教皇に継ぐナンバーツー。

 ある時、教皇のお供で、制作現場に訪れた時のこと。意見を聞かれた彼は、ここぞとばかりにミケランジェロをこき下ろした。

「不敬」

「ふまじめ」

「法王礼拝堂用の作品ではなく、風呂屋か宿屋むきの作品」

 もちろん、ミケランジェロは、それらをすべて聞いていたが、その場は何も言わなかった。

 しばらく後、再び教皇と共に現場にやってきたビアージョ氏は、仰天した。

 画面下部の地獄の一角。地獄の審判を務めるミノス王の顔が、自分に似せて描かれていたのである。

 大きさも実物大。皺や、いかつい鼻の形、分厚い下唇など、特徴が容赦なく描き出されている。

 しかもである。

 他の多くの登場人物たちと同様に裸体で描かれているのだが、その体には蛇が巻き付き、そして股間に思い切り食らいついているのである。

 見るからに痛々しい姿に、同僚たちは同情交じりの視線を向けただろう。

 教皇あたりは必死で笑いをこらえていたのではないだろうか。

「何とかしてください、猊下!!」

 たまりかねたビアー所は、教皇に泣きつくも、

「いかに私でも、地獄でのことは請け合えないよ」

 と流されてしまい、そのままに。

 そして、現在、「ルネサンスを代表する大作」の一つとして、ビアージョは、ヴァティカンを訪れる人々だけでなく、ネットを通して、今この記事を通しても人々に見られ続けている。

 半沢直樹は、「倍返し」「二度と這い上がれないようにする」と述べているが、その効力はあくまでターゲットが生きている間、100年にも満たない。

 だが、ミケランジェロのビアージョへの「仕返し」は、彼らが死んだ後、500年近くもの間、効力を保ち続けている。

 さすがの半沢氏も、「神のごとき」ミケランジェロに比べれば、可愛いものである。

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