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知ること、考えること、忘れないこと

※いま心が元気でない方は、この先無理に読まずに、何か温かいものを飲んでください。まずは自分が元気になること。お話しはそれからです。


今、起きていることについて。
自分なりに感じたことを、この先も忘れないようにnoteにメモしておきます。

わたし自身、心のキャパが有り余っておらず、日々、嫌でも目に入ってくるニュースに、心を痛めることが怖くて、できるだけそれについて考えないように、意識しないように日々を過ごしてきました。


だって、わたしがその事実を知ったとして、何が変わるというのでしょう。運命の舵を握っているのは、遠い海外の偉い人たちで、私がどれだけ嫌だと思っても、涙を流しても、その人達の考えや行動を覆すことなんてできない。そして何より、そんなふうに無力を理由にして問題を放棄する自分を情けなく思い、直視することができませんでした。



そんな時、TwitterでCoccoというアーティストが
今後の活動についてファンにお知らせするツイートが流れてきました。それを見て、急にCoccoの
“ジュゴンの見える丘”が聴きたくなったのです。


Coccoの曲を初めて聴いたのは大学生の時。
友人に教えてもらい、YouTubeでライブ映像を見たのですが、強い衝撃を受けました。
Coccoの身体が病的なほどに痩せていたからです。
その細い細い身体を大きく揺らしながら、瞳には強い光をたたえて歌うその姿に圧倒され、初めは“ちょっと怖い”とすら思いました。ここまで命を燃やして、全身全霊で歌っている人もいるんだなぁ、なんて、ぼんやり思ったことを覚えています。


Coccoの楽曲はどれも心に響くものですが、今回はどうしても“ジュゴンの見える丘”が聴きたくなりました。それも、かなり昔、Coccoに出会った当時にYouTubeで検索してたどり着いた、“Coccoのスピーチ付きのジュゴンの見える丘”が聴きたかった。


もう消されているかもしれないなぁ、と半ば諦めながら検索すると、ちゃんと出てきました。(ジュゴンの見える丘スペシャル映像:アーティストCocco)


せっかくだし、お風呂で湯船に浸かりながら聴こう、なんて、気軽に再生して号泣しました。


出会った頃の私には分からなかった、Coccoの抱える痛みや苦しみ、そして願いが強く伝わってきたからです。

あぁ、Coccoは今の私が感じているような無力さ、やるせなさに対して、私のように逃げずに、真正面から向き合ってきたんだなと思いました。そして、それについて自分なりに考え、自分にできることをしたのだと思います。

どうせ何もできないから、知らなくていい、なんて、なんと無責任で愚かな考え方だったのでしょう。心を痛めながらも、真実を見つめて、自分なりに考え、訴えることのなんと尊いことか。
Coccoはそれを教えてくれました。


先日も、ロシアからウクライナへの攻撃で、たくさんの命が失われました。中には、まだ若い兵士もいたようです。若いから、老いているから、命の大切さに差があるかと言えば勿論そんなものはないですが、自分より若い人が大人の都合に振り回されて命を落とすのは、やはりショックが大きいです。彼らがこの先、生きるはずだった未来、得るはずだった幸福のことを思うと、ぶつける先がわからない怒りで頭が真っ白になります。


なんの権力もない私に、今できることは
「知ること、考えること、忘れないこと」だと思いました。それでこの戦いが終わるわけではないけれど、この先自分が正しい選択をすることができるように。
そして、Coccoの想いが私に届いたように、この気付きも遠い誰かのもとに届き、何かが変わることを願って。

最後に、“ジュゴンの見える丘”の私が大好きな歌詞を置いてゆきます。

笑っていてほしい 守るべきものたちに
明日も訪れる何かが 正しいやさしいであれ

悲しみはいらない やさしい歌だけでいい
あなたに降り注ぐ全てが 正しいやさしいになれ
              (歌詞:Cocco)


ここまで読んでくれて、ありがとうございます。

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