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戯言たち

訴えたいことがない。

枯渇している。かつては世の中に対して言いたいことがたくさんあり、筆も進んだ。しかしながら、世の道理を理解したり、諦めたり、手に入れたり、届いたりしたものによって、言いたいことがなくなってきた。だから書きたいことがないのだ。

これは、ある意味でとても幸せなことである。「産みの苦しみ」という言葉があることからもわかるように、「産まないことは楽」なのであろう。

苦しみと対峙し、泥のような感情をわざわざ言語化して世の中に排出せずとも、心は穏やかなのだから。波風の立たない凪モード。達観仙人状態。それでいい。それでいいはずなのに、それが緩やかな後退にも思えてしまうところが、人間の厄介なところだ。

周りは、やれ成長だ、学びだと走り続けている。いるように見える。ランニングマシーンで必死に走る。だから結局は、自分のものさしで理論に落ち着くだろう。自分のものさし さえ手に入れることができれば、人生を惑うこともなくなる。しかし、小学生のお道具箱依頼、ものさしを手にした記憶がほぼない。未成年の頃から続く迷走。

人は比べてしまう生き物だ。緑の芝生しか見たことはないが、隣の芝生は青いらしい。危機だ。芝が青いなんて完全に病気である。芝が心配。隣の芝がとにかく心配。芝師になって、隣の芝生を助けることで、私の魂も浄化されるだろう。

何の話だっけ、そうだ、言いたいことだ。

言いたいことはない。基本ない。言いたいことは戯言くらいしかない。だから私のメンバーシップも戯言たちなのだ。大した主張ができず、戯言を垂れ流すことしか今はできない。

絞り出して戯言を吐いていると、戯言というさざ波が、いつか大きなビックウェーブを連れてきて、私から深海のように深く、温泉のようにとめどない主張が現れるだろうか。

そう信じて書くしかない。書くしかないんだよな。

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