つながりとケア
きょうは下の子の園の、災害時を想定した引き渡し訓練。もしもの時の動線、災害伝言ダイヤルの使い方も勉強になる。
しかし、まさにその時、交通手段がストップしてしまったら、どうやってお迎えに行くか。シングルマザーの先輩は3.11のとき帰宅困難になり、地域のお友達ご家族が気を利かせてお子さんを一緒に連れて帰って下さり、おうちでごはんを食べさせてお布団に寝かせていて下さったそうだ。
やはり、ご近所や地域のつながり、園、学校、小児科などあらゆるところで「子育て仲間」がいることは心強い。私も色んな人の顔を思い浮かべる。
1人で子育てを担う日々の中で、「もう無理」と限界になることがたくさんあった。特に体調不良のとき。子どもたちがRSウイルスから肺炎になって入院することになった時、自分も感染して倒れた時、地域のお友達の助けがなければ乗り越えられなかった。制度や既存のサーヴィスの網の目というのを実感した。
子育てをしていると公的支援のなかにも、民間の市場的サーヴィスの中にも助けが見当たらないことがままある。ケア労働が「家族」単位で想定されているからだ。
家族の在り方が多様になるにつれて、制度も少しずつ変化してはいるが、旧来のモデルからの変化、過渡期はまだまだとても長い。
そんな今、「緩やかなつながり」としての子育て仲間のネットワークはかけがえのないインフラである。これは住まいとセットで、日頃から顔見知りであること、互いの家庭状況などをある程度知っているなどの相互信頼関係が可能にしてくれる助け合いだ。子育てを通じて結び合う仲間に、どんなに救われる日々か。
市議をしていた頃、「子育てをひとりにしない」というスローガンの意味を、一体どれだけ理解していたかと反省する。身に染みてわかったのは、「誰か助けて」と文字通り身動きの取れない状況に追い込まれた時だった。
ファミリーサポートさん、ママ仲間、パパ仲間、園や小児科の先生、地域の人たちにSOSを出して、何とか生き延びた。岐阜から毎月のように手伝いに来てくれる実家の母の存在もかけがえがない。行政の支援窓口にも何度も何度も相談をした。顔の見える関係、声のわかる関係を築いたと思う。
「ひとりにしない」それは、ひとりになる側になってみて初めて痛感した苦しみだった。シングルマザーとして言葉にできないほどの困難を経験しながらも、生き抜いて、その経験を手に制度改革や政策提言、現場支援に取り組む方々がおられること。政治の世界にも、傑出した方々がおられること。そのことにいつも、涙の出る思いがする。言葉にならない。
でも私も、きっと何らかの形で、いまのこの日々から得た経験を社会に還元したいと思う。
未熟だった頃には見えなかったもの、わかったつもりになっていた、傲慢だった頃の自分には知り得なかったものに、目を見開かせてくれた、それが子どもたちである。我が子だけでなく、あらゆる子どもたちの姿。
ケアの倫理、という言葉を毎日噛み締める。決して綺麗事ではない、簡単には語り得ない、人間の尊厳そのものに関わること。同時に、限りなく日常的で、現実的で、打ち捨てることの出来ないもの。
子育て、そしてきっと今後やって来る介護も、私を人間として目覚めさせてくれる「労働」なのだろう。