日本被団協のノーベル平和賞受賞

日本被団協のノーベル平和賞受賞は、関係者の皆様の長年の歩み、血の滲むような草の根の平和運動が世界的に評価を受けた素晴らしい、信じられないほど嬉しいニュースです。
一方で、日本政府は核兵器禁止条約に参加していません。被爆者の皆様の心中いかばかりか。このことを強く憂えています。

「反核」は私の原点です。
2005年8月6日、1人で広島に行きました。戦後60年目の広島に行かねば、と思って、友人たちに協力して折ってもらった千羽鶴を持って、平和祈念式典に参加しました。翌年に留学を予定しており、日本人として留学をするならば、「ヒロシマ」「ナガサキ」を自分の言葉で語れることが責任だと思ったためでした。

2015年の8月6日も、やはり1人で広島へ行き、平和祈念式典に参加しました。戦後70年の節目でした。式典では、『原爆の子』に手記を寄せておられるかたと偶然お隣になって、お話しすることも叶いました。核廃絶のために、自分個人が、一体何が出来るのか。そのことを改めて突きつけられる思いです。
生活に追われて心身が忙殺される日々のなかで、自分のかつての政治活動、社会活動の原点をいまいちど思い起こします。
個人として何が出来るのか。「想像力」をどう用いていくのか。
胸がいっぱいです。

今しがた、「八王子 平和・原爆資料館」の運営にいまも携わっておられる大先輩にお電話。
日本被団協のノーベル平和賞受賞のことを喜び合う。90歳になられる先輩はいまも資料館の開館お当番を続けておられる。
なんだか、長年にわたってそれぞれの地域で地道な活動を続けてこられた大先輩たち皆さんに、「ありがとうございます」と「おめでとうございます」をお伝えしたい気持ちでいっぱい。

そして、「自分たちが引き継いで頑張ってゆきます」と言いたい気持ち。引き締まる思い。
自分に出来ることをやって行こう。水滴となって石を穿つぞ、という気持ち。

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2024.8.6の日記

八王子市議会の仕事をしていた時に、市内在住被爆者のかたの証言をデジタル・アーカイブするべきだという提案を続けて、任期中にこれが一部実現しました。当時、おひとりのかたのものがアーカイブされました。小さな前進でした。国だけではなく自治体の単位で、こうした取組がもっとなされるべきです。

戦争責任や補償の問題は国に問うべきものである、という立場を自治体はとりがちですが、その地域に住んでいる人が戦争体験、被爆の体験を語って下さること、それをバックアップし後世に伝えていくのは自治体の責務だと考えています。八王子市がこのことを受け止めて下さっていたのは、重要でした。

また、八王子市には民間で運営されている
「八王子 平和・原爆資料館」があります。以前、秋葉忠利元広島市長が八王子に講演に来てくださった時にここをご案内しましたが、非常に貴重な文献資料があると驚いておられました。
存続させなければならない重要な所です。

https://hachiojigenbaku.wixsite.com/museum

有志による運営は高齢化して存続の危機にあり、市が運営するべきだ、せめて補助を、と議会で訴えてきましたが、その後この問題は森ヨシヒコ市議らが引き継いで下さって、頑張って下さっているとお聞きしています。

私は当時、この資料館をもっと拡大して、被爆者のかたの証言のデジタル・アーカイブをいつでも聞けるように、そういう機能を持った資料館としてリニューアルして大切にしていくべきではないか、という提案を行っていました。市側は郷土資料館での展示も毎年力を入れているので、という回答でしたが、独立した施設として常時アクセス出来ることが大事だと私は考えていました。

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