手のひらの記憶
先日久しぶりに去年亡くなった母の夢を見た。これまでと同じく、夢の中の母はとても穏やかだった。よく覚えているやりとりがある。母が
「ともくんがみんなのこと引っ張ってくれてるんやなぁ」
と夫を褒めてくれていて、私は
「たまに喧嘩するけど、まあ仲良くやってるで」
と答えていた。その後の会話は忘れてしまったが、穏やかな気持ちで目覚めた。
全盲の私にとって、誰かを思い出すとき最初に浮かぶのは声だ。その夢を見てからというもの、母の声と共に思い出すものがある。それは母が着ていた洋服の手触りだ。一緒に出かけるときは、右手で白杖を持ち、左手で母の腕を持って歩いていた。冬になると母が着ていたダウン。少しザラッとした生地の手触りと、母の細い腕を軽く握ったときの感覚まで手のひらが思い出した。
「おかえり」
「ただいま」
新大阪のホームで声をかけてくれた母の右腕をさっと握る。
「こっちそんな寒くないやん」
「そうなん」
「東京の方が寒いで」
何気ない会話をしながら、たくさんのキャリーバッグや足音が通り過ぎるホームを並んで歩いて行く。
「白菜どっちにしよかな?」
「みんな食べるんやし、大きいのにしとき」
「そうやな。余ったらまたお母さん一人で鍋するわ」
私たち三姉妹の家族が集まって鍋の材料を買いに行った時も、話しながら私の手は買い物カートを押す母の右腕に触れていた。行きかう人の話し声、買い物かごに食材を入れていく音、遠くで鳴っているレジの音…。母の腕に触れながら並んで買い物をした。こんな風に洋服の手触りを思い出し、母との日常を懐かしく思うなんて。でも、もう二度と母に触れることはできないし、並んで歩くこともできない。思い出せば会いたくなるし、話したくもなる。夢を見てからというもの、寂しいなと思う日が増えた。いつまでも寂しがっていると母から
「あんたを悲しませるために会いに行ったんとちゃうで」
と怒られそうだ。今私と並んで歩いてくれている娘や夫、暖かい手触りで癒してくれている盲導犬のエル。当たり前のようにさっと腕を差し出してくれる友人や同僚たち。街中で
「ご一緒しましょうか?」
と誘導してくれる方たちとの一期一会の出会い。
「てから伝わってくる感覚を、あんたの今を大切にしいや」
夢は母からのそんなメッセージだったのかもしれない。