【山梨県立美術館】特別展「アーツ・アンド・クラフツとデザイン」を見に行く
はじめに
山梨県立美術館では特別展「アーツ・アンド・クラフツとデザイン-ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで」(2023.11.18~2024.1.21)を開催しています。
19世紀後半にイギリスのウィリアム・モリスが提唱したデザイン運動であるアーツ・アンド・クラフツとその広がりを紹介する展示です。全国8会場(広島、山形、東京、愛知、福岡、神奈川、山梨、千葉)を巡回します。
アーツ・アンド・クラフツとデザイン
特別展「アーツ・アンド・クラフツとデザイン-ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで」(2023.11.18~2024.1.21)は、19世紀後半、イギリスから始まったアーツ・アンド・クラフツ運動から、20世紀を代表するアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトの作品まで、およそ170点の壁紙、布地、家具、金属製品、ガラス製品、書籍の装丁など、暮らしに関係するデザインを紹介する展示です。
解説シートのテキスタイル
受付で配布される解説シートは裏面がテキスタイルになっており、折り紙の要領でブックカバーや小物入れを作れます。図柄は4種です。1人1枚の配布とのことで、筆者の場合、同行者の分ももらい、さらに後日再び観覧に出掛け4種揃えました。
本展の会場は、撮影可能となっています。ただし、終盤のフランク・ロイド・ライトに関する展示は撮影できません。
また、ネット上(SNS含む)に使用する場合、作品単体を撮影した画像は公開はできません。筆者もルールに基づき複数作品ごとに撮影した画像のみ使用しております。
ウィリアム・モリス
ウィリアム・モリス(1834年~1896年)は、デザイナー、詩人、画家、社会運動家と多面な活動をした人物です。
産業革命の最終期にロンドンで生まれたモリスは、「モダン・デザインの父」と呼ばれ、産業革命後に失われつつあった、職人たちの手仕事による制作活動の復興を目指しました。また、その丁寧な手仕事から生まれる美しさを人々の暮らしに取り入れ、身近な生活と芸術を統合した「美しい暮らし」を主張しました。その思想に賛同したデザイナーや建築家により発展したのが、アーツ・アンド・クラフツ運動でした。
第1章 モリス・マーシャル・フォークナー商会とモリス商会
ウィリアム・モリスは妻との新居である赤煉瓦の家「レッドハウス」の内装を仲間たちとともに手がけたことがきっかけとなり、1861年に仲間たち7人の共同出資によるモリス・マーシャル・フォークナー商会をロンドンにて設立します。そこでは壁面装飾、装飾彫刻、ステンドグラス、金属製品、家具の制作をしました。
1875年にはモリス単独のモリス商会となります。インディゴ抜染法を完成させるなどしたモリス商会の製品は染めや織り中心となっていきます。
まず、はじめの展示ではモリスデザインによるテキスタイルなど原点ともいえる作品たちを紹介しています。
会場に入ると壁には、モリスデザインのテキスタイルが並びます。モリスやモリス商会のデザインには小鳥や小動物がモチーフとして多用されているといいます。森の中の暮らしを好んだモリスにとって小動物などは身近な存在だったのでしょう。
《格子垣》はとくに初期のデザインですが、自宅の生垣のバラをヒントにしたといいます。バラ、昆虫、鳥が生き生きと描かれたデザインです。
《るりはこべ》は、小さい画像では分かりにくいのですが、花弁の裏側を見せている大きな花の間からのぞく小さな花がるりはこべとなっています。
《リスとナイチンゲール》は大型のタペストリーです。この作者でデザイナーのジョン・ヘンリー・ダール(1859/60年~1932年)はモリス商会に入りモリスからタペストリー製作を学んだモリスの一番弟子です。
続いて、モリスの次女、メイ・モリス(1862年~1938年)のデザインがあります。メイ・モリスはモリス商会では刺繍部門の責任者でした。
《ロウデン》と名付けられたカーテン生地があります。初期のインディゴ抜染が作られたテムズ川の支流の名前から付けられたといいます。
展示室の中央には、サセックスシリーズの椅子と机があります。
サセックスシリーズはモリス商会の人気商品のひとつでした。イギリス南東部のサセックス州で見つけた伝統的な民芸家具を基にしたといいます。
《サセックス・シリーズの肘掛け椅子》を制作したとされるフィリップ・ウェッブ(1831年~1915年)はモリスの生涯の親友です。
こちらは書籍におけるデザインです。モリスは晩年、書物の印刷工房「ケルムスコット・プレス」を創設し書物の出版もしています。「書物というものはすべて「美しい物」であるべきだ」という願いのもとに美しい活字で、美しい用紙に印刷され、美しい装丁で製本することを実証したといいます。
モリスは小説も手がけていて《ユートピア便り》は22世紀のロンドンを舞台にしたファンタジーでモリスの思想、夢から発した物語です。モリスの著作で最も売れたものといいます。
《ソネットと抒情詩》は、著者のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828年~1882年)は画家で詩人でラファエル前派の中心メンバーです。モリスはかつて20代でロセッティの門下生となり、画家になる志を持っていましたが、それはかないませんでした。
次の展示室へ移ります。こちらの壁にもテキスタイルが並びます。
モリスによるインディゴ抜染の復活は、天然素材や手仕事へのこだわりであり、近代化、商業主義へ反発であったといいます。
本展のメインビジュアル的作品で命名のユニークな《いちご泥棒》があります。別荘のイチゴをついばみにきたツグミから着想を得たといいます。
上記3点を別角度から写しました。
モリスの一番弟子ジョン・ヘンリー・ダールのテキスタイル作品が数点あります。モリス没後に商会のアート・ディレクターになります。
《2頭のライオン》を制作したトーマス・ウォードル(1831~1909)は染色家でモリスの協力者です。1878年までモリスデザインの14種類の壁紙をプリントしました。
さらにモリスデザインのテキスタイルが並びます。
《孔雀と竜》は中国の鳳凰と竜をモチーフに古いペルシャ絨毯を追求して中世ヨーロッパのタペストリー風に仕上げています。
キャビネット、椅子など家具製品が並んでいます。《暖炉の衝立(花の鉢)》がモリスによるデザインです。背景の写真は、第5回アーツ・アンド・クラフツ展覧会(後述、1896年)の様子です。
こちらは、モリス以降のテキスタイルのデザインです。
ケイト・フォークナー(1841年~1898年)はモリスが最初に立ち上げた、モリス・マーシャル・フォークナー商会の創設メンバーで経営マネージャーでした。モリス商会でもタイルや壁紙のデザインを手がけたといいます。
第2章 アーツ・アンド・クラフツ展覧会協会
「 アーツ・アンド・クラフツ展覧会協会」に関わった作家たちのデザインや製品を紹介しています。
「 アーツ・アンド・クラフツ展覧会協会」とは造形芸術家や建築家が集まり1887年創設した造形団体です。定期的に「アーツ・アンド・クラフツ展覧会」を開催し造形芸術を発表しました。1891年からはウィリアム・モリスが協会の会長を務めています。
この展覧会の継続とともに、アーツ・アンド・クラフツの思想はイギリス全体へ浸透し、さらには欧米を中心に広がり、日本にまで波及したといいます。
展示はランプ、タイル、テキスタイル、書籍など多彩です。
壁には協会に関わった造形作家たちのテキスタイルデザインが並びます。
ウォルター・クレインのデザインが数点展示されています。ウォルター・クレイン(1845年~1915年)はアーツ・アンド・クラフツ展覧会協会の中心的人物で、初代会長を務めました。
孔雀は美の象徴でもありクレインが繰り返し使用したデザインです。
C・F・A・ヴォイジーは、アーツ・アンド・クラフツの中で最も革新的な建築家です。壁紙のほか家具、タイル、陶磁器、金属細工など優れた作品を残しています。壁紙はモリスと同じような草木、小動物といったモチーフの繰り返しデザインですが、簡潔かつ抽象化を進めたデザインは次の世代に影響を与えました。
ルイス・フォーマン・デイ(1845年~1910年)は、ステンドグラスメーカーでの勤務を経て壁紙、タイル、テキスタイル、家具、さまざまなデザインを手がけました。アーツ・アンド・クラフツ協会に参加するとともに、自らも装飾家集団「ザ・フィフティーン」を結成するなど重要な役割を果たした人物です。
『ステューディオ誌』は1983年出版の美術と工芸の雑誌です。ヴォイジーが表紙を担当しました。二人の天使の姿は「実用と美」の融合を意味するといいます。
再びウォルター・クレインですが、こちらは彼の著作です。
卓上ランプやペンダントライトが目を引きますが、ウィリアム・アーサー・スミス・ベンソンの作品です。
ウィリアム・アーサー・スミス・ベンソン(1854年~1924年)はモリス商会のために家具などをデザインしました。アーツ・アンド・クラフツ展覧会協会の主要メンバーのひとりであり、モリス没後はモリス商会の代表も務めました。
ベンソンは機械生産を工房に採用して、ショールームを開設、人気商品の特許登録など商業的に成功を収めています。卓上ランプは特に人気商品でした。
鮮やかなタイル作品が並びます。モリスを始め、ケイト・フォクナー、C・F・A・ヴォイジーなどのデザイナーの作品たちです。
第3章 英国におけるアーツ・アンド・クラフツの展開
モリス没後のイギリスにおけるアーツ・アンド・クラフツの展開を紹介しています。アーツ・アンド・クラフツ運動は展覧会とは別の形で広く展開され、イギリス各地に波及していきます。
とくにリバティー社は、婦人服から金属製品、家具などさまざまな商品を製作販売しました。日本、中国、インドなど東洋の美術品の輸入など先進的な活動も行い、アーツ・アンド・クラフツにおける貢献が大きいといいます。
リバティー社は、1875年にアーサー・ラセンビィ・リバティ(1843年~1917年)がロンドンにリバティー商会を開設したことに始まります。リバティー社は機械も取り入れながら、高い基準のジュエリーを量産することに成功します。イギリスでもっとも商業的に成功をしたアーツ・アンド・クラフツでしたが、モリスの出発点である機械化に対する反発とは逆の思想が商業的に成功したような形になりました。
美しいガラス製品が並びます。中央のケースの扇形の花器は特に目をひきます。
別のケースには、ジェームズ・パウエル・アンド・サンズ社製のガラス器が並びます。モリスの「レッドハウス」のガラスを製造したほか、中世のステンドグラスの色彩の再現を開発しています。
続いての金属製品が並びます。
ピューター製のコーヒーセットなどは、アーチボールド・ノックス(1864年~1933年)の製品です。ピューター製品は銀器より安価で機械生産を通して多く提供されました。
ノックスはリバティ商会でケルト系リバイバルを取り入れたピューター製品など金属製品を多数デザインしました。
続いて、チャールズ・ロバート・アッシュビー(1863年~1942年)の銀製品が並びます。アッシュビーは1988年にギルド・オブ・ハンドクラフトを結成して木工、金工の作品を制作しました。
椅子やキャビネットなど家具製品です。
《チューリップとリリー》のリンジー・フィリップ・バターフィールド(1869年~1949年)はモリスの影響を受けたデザイナーのひとりです。多数の植物デザインのテキスタイルを手がけリバティ商会などに提供していました。
《カーテン布地》《ジャガード織り布地》《ジャガード織り綿布地》はシルヴァー・スタジオ製で1880年にアーサー・シルヴァーによって設立された出来スタイルのデザイン事務所です。
リバティは優れたデザイナーを採用し、シルクを捺染したテキスタイルなどリバティ・テキスタイル販売して人気を博しました。
続いてのケースはには、リバティ商会の製品を中心とするネックレスやペンダント製品があります。
続いて、バックルやブローチ類です。
最後はブレスレットです。
スコットランドの画家、ジェシー・マリオン・キング(1875年~1949年)の挿絵作品です。アール・ヌーヴォーを思わせる挿絵で知られます。
山梨の生糸との関わり
リバティ―社の東洋からの輸入を積極的に行いましたが、その背景のひとつとして1859年(安政6年)の横浜開港がありました。日本からの輸出品の首位は生糸でした。養蚕が盛んであった山梨からも、東油川村(現笛吹市石和町)の篠原忠右衛門(1809~1891)が甲州屋という屋号で横浜に店をかまえ輸出していました。また、在家塚村(現南アルプス市白根町)の若尾逸平(1821~1913)も生糸の輸出で財を成し、その後甲州財閥と呼ばれる実業家のひとりとなりました。
リバティ社設立の前年である1974年(明治7年)に山梨では大規模な官主導の機械製糸工場が現在の甲府市中心部に作られ生糸の輸出に貢献しました。
第4章 アメリカでのアーツ・アンド・クラフツ
アメリカでもアーツ・アンド・クラフツ運動が広がっていきました。
アメリカでは、ティファニースタジオの宝飾品などがブランドデザインの源流になりました。
『ザ・クラフツマン誌』のバックナンバーがケースにあります。スティックリーの工房であるユナイテッドクラフツメンの機関紙として1901年から1616年まで発行され、アメリカのアーツ・アンド・クラフツ運動に大きな役割を果たしたといいます。
イスとテーブルが並びます。背景のパネルは「椅子を制作する職人たち」
ティファニー・スタジオは、ティファニー商会の創業者チャールズ・ルイス・ティファニー(1812年~1902年)の長男でガラス工芸作家で宝飾デザイナーのルイス・コンフォート・ティファニー(1848年~1933年)の設立したガラス器製造の会社です。彼もモリスの影響を受けたアメリカのデザイナーの一人です。ティファニー・スタジオは家庭用品のほか文具セットなど手がけました。
展示には、ユリ型の卓上ランプがあります。ユリ型の卓上ランプはティファニー・スタジオでもとくに人気を博した商品だといいます。
続いてティファニー・スタジオの金属製品です。
さらにティファニー・スタジオの卓上製品が並びます。
ザ・ロイクロフターズの製品2点です。ザ・ロイクロフターズはモリスの印刷工房「ケルムスコット・プレス」の製品に共感したエルバート・ハバード(1856年~1915年)によってニューヨーク州に設立された職人のコミュニティです。シンプルなデザインの銅製品を最も得意としたといいます。
モリス没後、アメリカでは、ボストン、シカゴ、デトロイドなどの都市でアーツ・アンド・クラフツ協会が設立されました。建築家フランク・ロイド・ライト(1867年~1959年)は、シカゴ・アーツ・アンド・クラフツ協会のメンバーでした。ロイドは建築家でしたが、ステンドグラスや照明、家具なども手がけ、建築と内装の統一を重要視していました。また、ライトはモリスとは異なり機械化による直線的な模様をデザインしました。
最後の展示として、ライトが手がけた邸宅のステンドグラスのドアや窓が展示されていますが、こちらは撮影は一切不可となっております。
ティファニースタジオも機械化により、ランプや食器、卓上製品などを広くアメリカの家庭に行き渡らせました。アメリカのアーツ・アンド・クラフツは機械化の製作を受け入れ大きく広がっていったのです。
ミュージアムショップ
ミュージアムショップでは、アーツ・アンド・クラフツのデザインを使ったグッズが沢山あり見ていて楽しくなります。
展覧会の定番のクリアファイルとノートですが、ノートは普段使いにもおしゃれで良さそうです。
他にもつい手に取りたくなる小物があります。こちらは、卓上カレンダーです。隣はステッカーです。
図録も好評です。筆者は隣にあるハンカチを購入しました。
通路側の壁には額とセットになったデザインのポスターとプリントされた傘がありました。
おわりに
出品点数が多く、撮影可能なため、画像も紹介内容も多い記事になってしまいました。やや気になったのはフランク・ロイド・ライトについて、副題に挙げているのですが、そのわりには作品数も解説も少ないように感じました。
さて、こうして美術鑑賞できるのも平穏な日常があるからです。
元日に能登地方を襲った地震災害は、いまも避難生活や行方不明者が多くおられます。被災された方々にお見舞い申し上げるとともに一日も早く平穏な暮らしに戻れることを祈っております。
参考URL
ウィリアム・モリスの世界
https://www.william-morris.jp/ (2024.1.8閲覧)