【井戸尻考古館】ミニ企画展示「富士見町の香炉形土器」を見に行く
はじめに
富士見町の井戸尻考古館では、年数回の企画展示をしています。展示室の一画を企画展示用にしており、決して広くはありませんが、富士見町の遺跡や考古館の収蔵品など工夫をこらした展示をしてきました。
今回のミニ企画展示「富士見町の香炉形土器」(2023.1.24~3.31)は、井戸尻考古館が収蔵する香炉形土器を一堂に展示しています。
見学客の少なくなる冬の考古館で土器を眺め静かな時間を過ごしてまいりました。
冬の考古館
冬の井戸尻考古館が非常に寒いことは有名です。もともとエアコンがない上にコンクリート製の建物を温めることはたいへんなことです。
冬の考古館は見学者が少なく、そのぶんじっくりと時間を過ごせます。筆者は寒いのは平気です。タイミングが合えば館長や学芸員からお話を伺うこともできます。
そうはいっても寒い展示室です。ファンヒータをフル回転させていても設定温度まで上がりません。ホッカイロが受付にサービスで常備してあります。
あと、雪が降ると周辺は坂道とカーブがあり滑ります。冬タイヤ装備でも急ブレーキは滑ります。積雪時は絶対に無理は禁物です。
富士見町の香炉形土器
ミニ企画展示「富士見町の香炉形土器」を紹介します。今回の展示を担当されたS学芸員にお話しを伺うとともに解説していただきました。
井戸尻考古館では縄文の人々の精神性を重んじるとともに、図像的解釈による展示や解説が有名になりました。しかし今回の展示は、考古学的な視点により富士見町の香炉形土器をとらえてみようという展示だといいます。
井戸尻文化といわれる考古館の研究は図像論や各地の神話などを援用して縄文人の精神性に迫っていますが、それらも考古学知見が根底にあり、その上に図像学などを重ねているのです。井戸尻編年という土器形式の分類も考古学知見の成果によるものです。
とはいえ、近年、井戸尻考古館が有名になっていくとともに、図像論や精神世界のほうが注目されています(それが一味違う魅力ではありますが)。井戸尻は図像論だけじゃなくてちゃんと考古をやっているんだよ、という思いも含んだ展示だそうです。
吊手型土器と香炉形土器
「香炉形土器」と言っていますが「吊手土器」が一般的な言い方です。吊手土器と呼ばれるようになったのは鳥居龍蔵『諏訪史』第1巻によります。
井戸尻考古館の香炉形土器といえば、曽利遺跡の人面香炉形土器が最も有名です。表と裏のあまりの違いにも驚かされます。しかし、これを吊手と言えるでしょうか。
香炉形土器について、井戸尻考古館では以下のように解説しています。
そして形態により、吊手土器と香炉形土器を呼び分けています。
8点の香炉形土器
香炉形土器(吊手土器)は、中期中葉から後葉にかけて関東、中部の遺跡で発見される特殊な形の土器です。
富士見町の遺跡からは9点の香炉形土器(吊手土器)が出土しているそうです。そのうち今回は井戸尻考古館が所蔵する7点とレプリカ1点の8点を展示しています。その中には普段は収蔵庫に眠っている形を復元できない破片も含まれます。では、残る1点の香炉形土器(はというと藤内遺跡から発掘されたもので、宮坂英弌により茅野市の尖石縄文考古館に収蔵されています。
まず、免振ケースにあるのは香炉形土器と人面の破片2点です。
香炉形土器は井戸尻遺跡(藤内Ⅲ式)のものです。特徴的なのは、底に台がついていて上げ底になっているところです。また焼け焦げた黒い跡から火を内側で使ったことが分かります。藤森栄一は灯りをともしたランプと考えていましたが、井戸尻考古館では火の誕生にかかわる神事に使われたと考えているそうです。
展示ケースには、併せて人面深鉢の破片を2点展示しています。故意に欠きとられた頭部(左)と顔面まで破壊された頭部(右)です。香炉形土器も頭を欠きとられて発見されるものが少なくありません。香炉形土器とも共通する表現の紹介です。
次のケースでは、古い段階の香炉形土器を紹介しています。
ケース左にある2点はもっとも古い段階のもので藤内遺跡の香炉形土器(藤内Ⅰ式)です。特に右は破片のため展示するのは初となるそうです。破片でも、しっかり香炉形土器としての特徴を備えています。
次にレプリカですが、有名な札沢遺跡の蛇文香炉形土器(藤内Ⅰ式)です。ツチノコのような蛇の乗った造形は有名です。現品は長野県宝であり富士見町の個人蔵でしたが、現在は長野県立歴史館が所蔵しています。井戸尻考古館では借用してレプリカを制作したとのこと。
次に、久兵衛尾根遺跡の香炉形土器(藤内~井戸尻式)です。やや深い鉢で、全体に縄文をほどこしてあります。てっぺんは、平らになっています。
初めから頭部のない造形に作られています。珍しいものではなく他にも事例があるそうです。
向かい合ったもう一つケースです。こちらでは出土状況に注目しています。曽利遺跡29号址と居平遺跡13号址の紹介です。特徴的な出土状況からは集落で生活の姿が見えてくるかもしれません。
まず、曽利29号住居址からの出土状況を紹介しています。
曽利遺跡の香炉形土器(曽利Ⅰ式)です。上から見ると髑髏のような造形になっています。チラシのにデザインされた土器です。
次に、こちらは中期後葉で香炉形土器は曽利遺跡(曽利Ⅰ式)です。人面香炉形土器の近くで発見されました。
人面香炉形土器です。こちらは頭が打ち砕かれていました。現在の頭は武藤雄六氏による推定復元です。こちらは常設の定位置で展示されています(撮影不可)。
一つの住居から2つの香炉形土器が出土することは極めてまれで、祭壇と思われるものもあることから29号址という住居が特別な場所であったと推定できます。
また、次は居平遺跡13号住居址の吊手土器です。こちらは2本の乳棒状磨製石斧と一緒にありました。しかもその磨製石斧は刃がつぶしてあったそうです。モノの命を絶つ儀式とともにこの吊手土器を使ったのでしょうか。
リニューアルしたリーフレット
すでにご存じの方も多いでしょう。2022年8月より井戸尻考古館のリーフレットが新しくなっています。およそ10年ぶりのリニューアルで、これまでの神像筒形土器のデザインから水煙渦巻文深鉢に変わりったほか、書体やデザインもおしゃれな雰囲気になっています。
新しいリーフレットは、開くとポップな色調で、これまでの井戸尻からは思いもよらないデザインです(失礼)。しかし内容はというと、農耕論と図像論という二つの柱を前面に押し出しています。これまでのリーフレットでは意外にも触れられていませんでした。
さらに「おらぁとうの井戸尻考古館」へようこそ、というメッセージがあります。
昨年(2022年)始めに研究者としての初代館長(※)を務めた武藤雄六氏が鬼籍に入り、また、暮れには諏訪文化の研究者で井戸尻考古館とも縁の深い田中基氏も鬼籍に入りました。「おらぁとう」は来館者へのおもてなしの気持ちとともに、井戸尻を発掘した諸先輩方への敬意であり、井戸尻の研究を守っていくという館長らスタッフの決意のように感じられてなりません。
旧リーフレットは歴史民俗資料館と共通だったため、面を変えて歴史民俗資料館用として配布中です。
※井戸尻遺跡保存会の理事や行政の教育長などが館長を務めた時期もありましたが、研究者として指揮をとった最初の館長は武藤雄六です。
画像はありませんが入館券も2023年1月より新しくなっています。ちなみに、下記は、公式ツィッターのフォロワー2000人達成記念として、フォロワーである旨を申し出るともらえるの栞です(2023年1月から3月まで)。新旧の入館券をデザインしてたものです。3種類、3度足を運んでコンプリートです。(実はリボンや色違いで無数のバリエーションが・・・)
おわりに
香炉形土器の展示でしたが、井戸尻考古館のほかの土器の量に比べて香炉形土器としてはここにある8点しかないと聞くと、特別な土器であると思いました。
寒い展示室で火を重んじ火を灯した土器に思いを馳せたひとときでした。
参考資料
井戸尻考古館「ミニ企画展示 富士見町の香炉形土器」展示解説シート、2023
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