【井戸尻考古館】3館企画展示「縄文ど真ん中!」を見に行く
はじめに
北杜市考古資料館、井戸尻考古館(富士見町)、八ヶ岳美術館(原村)にて恒例の3館共同の企画展示が始まりました。
山梨長野両県をまたぎ八ケ岳定住自立圏共生ビジョンを締結した3市町村にある博物館が共通のテーマで企画展示を行っているものです。
今年の展示テーマは「縄文ど真ん中」(2023.7.13~11.23)です。それぞれの館が得意とする切り口で中部高地の縄文を紹介するものです。
トップ画像は、岡本太郎が撮影した水煙土器です。
縄文ど真ん中!
この3館共同企画を始めて10年の節目となる今年のテーマは「縄文ど真ん中!」(2024.7.13~11.24)です。「ど真ん中」から、それぞれの館が着想するテーマで展示が展開されます。
井戸尻考古館は縄文文化と縄文研究のど真ん中というテーマです。さらには、これまで井戸尻考古館ではほとんど語られなかった芸術的な観点からも井戸尻考古館の持つ土器の魅力を紹介しています。これらの中には、初出の土器1点、10年ぶり公開の土器1点が含まれています。
他の会場の様子はこちらをご覧ください。
チラシはA4の2つ折りで恒例のスタンプラリーの台紙を兼ねています。
恒例のスタンプラリーがあります。3館すべてのスタンプが揃うと缶バッジなどの特典がもらえます。1館目、2館目へ戻って揃ったスタンプを見せればすべてで特典がもらえます。
半人半蛙文有孔鍔付土器
独立ケースには普段の展示でもおなじみの、半人半蛙文有孔鍔付土器(藤内遺跡、重要文化財)が鎮座しています。
本展でも紹介されている「土器図像論」を代表する土器の一つです。土器の表面の図像は、蛙の特徴と人の姿が結びついたもので、蛙と月は結びつきが強く、月の満ち欠けにより再生と復活の意味があると解釈されています。
また、この土器は酒造器として考えられることから祭事などに使われ井戸尻文化の中心を象徴する土器といえます。
ところで、本展でこの土器は撮影は出来ません。もともと撮影不可ではありましたが、インスタグラムへの投稿企画を実施した機に撮影解禁されておりました。今回から元に戻された形です。
下記画像は、筆者が常設展示で過去に撮影したものです。
土器造形のど真ん中
本展の担当であるS学芸員にお話を伺うことができました。対応いただき感謝いたします。
本展の前半は「造形」ということで、陶芸家のバーナードリーチ、芸術家岡本太郎が見た井戸尻の土器を紹介しています。井戸尻考古館にとっては異例ともいえる芸術家目線による展示です。
もともと来館者から芸術性に対する感想も多く聞かれていたそうで、そうした反響に対して芸術性の角度から迫ってみようという井戸尻の新たな試みだそうです。
イギリス人陶芸家バーナードリーチ(1887年~1979年)の写真パネルがあります。案内しているのは陶芸家で人間国宝の濱田庄司(1894年~1978年、明治27年~昭和53年)です。「民芸手帳」(東京民藝協会の機関誌)の取材で旧井戸尻考古館を訪れたものだといいます。
そして展示ケースの3点の土器がリーチが見たと言われる土器になります。
井戸尻遺跡の深鉢土器がありますが。藤森栄一によれば「これこそ世界一の土器」とリーチが褒め讃えた土器といいます。
こちらは、すすがそのまま残る香炉型土器です。
そしていわずもがな、抜群の知名度の水煙渦巻文深鉢です。1963年(昭和38年)にはフランスで開催された日本美術展に出品されました。その後、10円はがきの額面意匠にも使われ全国的な知名度になりました。
そしてこちらも初出資料だと伺いました。岡本太郎が撮影した水煙渦巻文深鉢の写真です。フィルムの中に1カットだけ井戸尻考古館の土器が写っていたといいます。1974年とありますから、現在地の井戸尻考古館の開館後に訪れて撮影したと推測できます。この土器のカットで下が仰ぐような角度からのものはあまり見かけないです。さすがは岡本太郎です。
学芸員の逸品
続いて、ケースの半分は「かっこいい」「美しい」という観点からS学芸員が紹介したいという土器の逸品が並びます。
まず、こちらが完全初出となる資料だといいます。浅鉢で広原遺跡の出土品です。
なんと縄文土器といいながら模様がないのです。表面はむしろきれいに磨かれています。粘土はたいへん上質のものが使われているそうです。口縁部もまっすぐ綺麗に処理されています。
筆者はおだやかな美しさと品を感じました。しかし美しくても縄文土器としては文様がないために普段の展示ではお目にかかる機会はありません。
続いて藤内遺跡の箍状口縁深鉢です。小ぶりなので、ミニチュア土器と思いきや、少し様子が違います。突起や文様のサイズはそのままに小さな土器として作られているのです。つまりデフォルメです。S学芸員との会話の中でSDガンダムみたいな土器との言葉も出てきました。
続いても藤内遺跡の土器で箍状口縁縦帯区画文深鉢です。井戸尻考古館で最も美しいとS学芸員にいわしめる土器です。肉厚の区画文は隙間なく表面を覆っています。確かに隙を感じさせない見事さを感じます。
曽利遺跡の眉月文深鉢です。渦巻き文が各所に配置され土器造形の美しさとともに力強さを感じる逸品だといいます。
文化発信のど真ん中
続いて向かい側のケースでは、文化発信の中心地として井戸尻遺跡群についてと、井戸尻考古館の研究成果について紹介しています。
冒頭の有孔鍔付土器は酒造器であると井戸尻考古館で考えています。展示には、樽型のほかに竹筒型の有孔鍔付土器があります。
竹筒型は有孔鍔付土器の古い段階の形で、八ヶ岳山麓で多く見つかっているといいます(以前の企画展示でもその点が紹介されています)。
また、祭式で火を灯したであろう香炉型土器(釣手型土器)についても最古の段階の資料が富士見町の遺跡から2点見つかっています。1点は札沢遺跡の香炉型土器でツチノコが載っているかのような形で有名な土器です。
そしてもう1点が部分になりますが今回展示されている藤内遺跡の香炉型土器です。
こうした酒造や火をともすなど、祭式に使われたであろう土器の源流がここにあるとすれば、祭式の文化も井戸尻遺跡群を中心に広まっていったのではないかといいます。
縄文研究のど真ん中
続いて、井戸尻考古館の研究の柱である「井戸尻編年」「縄文中期農耕論」「縄文図像論」を紹介しています。
まず、著名な研究成果が中部高地縄文の土器編年である「井戸尻編年」です。土器編年とは土器の特徴から新旧の年代を知る指標となるものです。井戸尻編年により甲府盆地から八ヶ岳西南麓地域の土器や遺跡の年代を知ることが容易に出来るようになりました。現在も改訂されながら広く利用されています。下記画像が最新の「井戸尻編年」です。
ケース後方の大型の土器は、重弧文深鉢で曽利Ⅱ式の標識土器であるといいます。曽利Ⅱ式という形式を定義する貴重な土器ですが、展示される機会はほとんどなく、実に10年ぶりの展示だといいます。ちなみに曽利Ⅰ式の標識土器は有名な水煙渦巻文深鉢になります。
曽利Ⅱ式の標識土器がなぜ展示されていなかったのかと伺うと、曽利Ⅱ式の土器には他にも重要な土器があり、そちらを展示しているためだそうです。ほかにも曽利式土器について詳細に解説いただきました。それもそのはずで、S学芸員は長野県の曽利式土器をまとめ2021年に報告している曽利式土器のエキスパートです。お話を伺って曽利式土器の奥深さを知りました。
次の研究の柱は「縄文中期農耕論」です。遺跡の出土品などから想定される文化水準の高さ、石器の多さ、そしてその石器が一連の農作業に用いるとみられることからすでに農耕が始まっていたと考えています。常設展示の石器による農耕具と現在の農耕具の比較はよく知られていますし、考古館裏の畑で縄文農耕を実践しています。
そして最後は「縄文図像論」です。土器の文様や形には共通の意味があると考え、縄文人の哲学、精神世界に迫ろうとしてきました。図像の意味を読み解くうえで、考古学を基礎とながらも民俗学や神話を援用するなどしています。そうした研究の成果が分かる土器3点が展示されています。描かれている図像は「みづち」「蛙」「蛇」です。
上記画像の左の土器はその名も「みづち文深鉢」です。「みづち」とは想像上の水生動物です。「抽象文」と一般的に言われますが、多くが同じ姿で土器に描かれていることから意味を持っているといいます。
その隣、隻眼深鉢は裏側を見せていますが「蛙」の手足の表現されているといいます。
そして手前の、蛇の腕を持つ人面深鉢は右腕が「蛇」になっており細長い新月の表現と重ね合わせることで新月が蛇の象徴と考えられるのだといいます。
ど真ん中にあること
富士見町の遺跡分布を見ると八ヶ岳と南アルプスに挟まれた狭い範囲の平坦面や緩い斜面に集中しています。関東方面から信州の黒曜石を求めた人々の移動の要衝でありました。
縄文時代中期のおよそ1000年間は、八ヶ岳西南麓から独自の縄文文化が生まれ周辺地域と交流し広まった時代でした。そのど真ん中が井戸尻遺跡群であるといいます。縄文人の心に迫り、どう暮らしてきたのか、井戸尻文化の中心として、この先も井戸尻考古館の研究は続くと締めくくられています。
おわりに
土器の芸術性に着目するとしつつも、バーナードリーチや岡本太郎が見た土器に着眼するあたりは井戸尻的でありました。学芸員が勧める「かっこいい」「美しい」土器は初公開の土器もあり興味深かったです。
縄文文化、縄文研究についてはこの企画展示では手狭で詰め気味になってしまっていたかもしれません。しかし、井戸尻考古館は伝統的に展示が詰めぎみなのでそれも井戸尻らしさでしょうか。
夏から秋にかけて建館50年企画が目白押しになっています。チラシには「これまでの50年」に続いて「これからの50年」とあり、ここにも井戸尻考古館の研究が続くことの宣言とみてとれるのです。
参考資料
井戸尻考古館「3館共同企画展 縄文ど真中!」展示解説シート、2024