【山梨県立考古博物館】夏季企画展「呪(まじな)いの世界」を見に行く
はじめに
山梨県立考古博物館では、夏季企画展として「呪いの世界」(2024.7.13~9.1)を開催中です。
なんとも物騒な展示タイトルでは、と思いきや「呪い」を「のろい」と読んでおりました。正しくは「まじない」です。「呪いの世界」です。
縄文から近世にかけての山梨県内で発掘された呪物と思われる遺物を紹介し神秘的なものの力を借りようとした当時の人々に焦点をあてます。
トップ画像は展示室の様子です。やや演出さが感じられますが内容は真面目に考古です。邪馬台国も巫女さんも出てきません。
呪いの世界
本展は、これまでとは少し変わった切り口の展示ではないかと思います。考古資料では祈りに関係する物が多く見つかっております。用途の分からないものも祈りに分類されるくらいです。そして祈りも呪いも非常に近い関係のものですが、この展示では明らかに呪いに使われたであろう資料について展示しているといいます。
テーマを「うめる」「うつす」「かく」「いのる」に分けて展示するとともに、着目すべき遺跡、遺構について扱っています。
呪いとは
展示室にいきなり存在感のあるオブジェ的祭壇があります。一部、金櫻神社(甲府市)などの本物の護符もあります。
「呪い」についての解説があります。それによれば、呪いは良い結果をもたらすためにも行われました。現代にも残る呪いといえるものは、
玄関先塩を盛る→幸運を呼ぶ
お札、神棚、お守り→邪気を祓う
ちちんぷいぷい→痛さを紛らわす呪文
ケンパ・ケンパ・ケン・ケンパ→もとは土地を陰から陽に変える呪文
鈴の音→邪気を祓いエネルギーを浄化する
などがあるといいます。
とくに音は、神秘と感じられたもののひとつで、縄文時代には土鈴や土笛などがあります。弥生時代には銅鐸や土笛、琴、鈴付きの土器があり、古墳時代には金属製の鈴や口琴、槽作りの琴などが確認できます。神社に参拝するときに鈴を鳴らす、雅楽の琴や笛の演奏などに残されたといいます。
また、呪いの道具としては、縄文時代はミニチュア土器や土偶、動物形土製品、動物の骨を使った道具などがあります。
弥生時代は鬼道という呪いでは桃や薬草が使われていた記録が残されているといいます。また鏡を用いられました。古墳時代になると中国の神仙思想に元ずく鏡や埴輪、玉類や形代が流行します。
会場内も雰囲気を出しています。御幣とか
埴輪などから推定した巫女の服も展示されています。素材は麻が使われていたといいます。余談ですが、神聖である横綱の綱には大麻草の素材が使われていることは有名です。
前述の音に関する遺物です。復元も含みます。
(左上)槽作り琴(復元品)、古墳時代
(左上)登呂遺跡、琴(復元品)古墳時代
(下左)大塚遺跡、六鈴鏡(復元品)古墳時代中期
(下右)大塚遺跡、鈴訓(復元品)古墳時代中期
(下右)甲府城跡、筅状木製品、近世
(右上)甲ツ原遺跡ほか、土鈴、縄文時代中期
(右下)上の平遺跡、土偶、縄文時代中期
(右下)上コブケ遺跡、動物形土笛、縄文時代中期
そして、呪いとおぼしき出土状態のものや呪符の書かれた木簡なども並びます。ガラスビンは立てられた状態で出土したもので、土師器坏は重ね合わされてカマドから出土しているといいます。
(左上)深山田遺跡、陽物形木製品、中世
(右上)宮ノ前遺跡、ガラス瓶、近代
(左下)東原遺跡、土師器坏、平安時代
(右下)甲府城下町遺跡、呪符木簡、近世~近代
プロローグ
では本編の展示です。
容器としての機能をなさない宮の上遺跡(甲府市)の双口土器を例に挙げています。液体はほどんど入らず、個体も取り出しにくく器としての実用性は乏しいのですがしっかり作りこまれています。こういうものを考古では「分かりません、何かの儀式等に使われたと思われます」と説明するといいます。こうしたわからない資料のなかでもとくに呪いに使われたであろうと考えられる資料を扱うのが今回の展示です。
うめる
まずは、地面に埋められたさまざまな道具の紹介です。
穴に「うめる」ことによりわざわいが起きないようにした呪いが知られているといいます。現在でも地鎮祭として残っています。
まず幼児の墓と考えられる海道前C遺跡(北杜市)の67号土坑から出土品4点の紹介です。
人面装飾付土器、石棒、深鉢形土器、浅鉢形土器底部です。4点が重なり浅鉢の底で蓋をするように置かれていました。石棒は男性の象徴、人面装飾付土器は底が抜けていて、亡くなった人を埋葬する埋め甕のやり方に似ています。
続いて、平安時代で西馬鞭遺跡(笛吹市)の手捏ね土器です。手捏ね土器が大量に見つかる遺跡は限られていることから祭祀性が強いと考えられるといいます。
さらに平安時代は、大塚遺跡(南アルプス市)の竪穴住居のカマドの中から須恵器の蓋が出土しておりカマドを廃棄するうえでの祭祀ではないかといわれています。
膳棚遺跡(山梨市)の竪穴住居の貼り板の下からは、二つに割れた皿を半分は伏せた状態で石を乗せていました。災いが起きないことを抑えているかのようで地鎮の呪いが行われていたと考えらるといいます。
大原遺跡(笛吹市)の竪穴住居の中で画像のように皿が配置され中央のさらには壺が置かれていたといいます。何かの儀礼であるといいます。
武田勝頼の墓(弔う)
「弔う」として武田勝頼の墓所より発見された経石を紹介しています。
武田勝頼の墓は、勝頼終焉の地となった甲州市大和町の景徳院にあります。石塔の下を調査すると5000個余り経石が確認されたといいます。
勝頼とともに夫人、嫡男信勝と3基の墓が並んでいますが、信勝の墓石の下に最も多くの経石が埋められていたことが謎であり、さまざまな可能性があるといいます。
経石というと「一字一石経」が大半ですが「多字一石経」だけで5000点の石がありました。
勝頼の墓のものと思われます。経石の表と裏、戒名に続いて経が書かれています。
呪符木簡と暗文
続いてのケースにあるのは、富士吉田口登山道にて参拝者が置いた銭や石経をだといいます。
経石は「一字一石経」になっており、縁起の良い文字を書いてます。「現身」「合掌」とある上段の2点は片面2文字、「如来」「慈悲」「宝塔」「涅槃」とある下段の4点は表裏で1文字ずつ書かれています。
二本柳遺跡(南アルプス市)から、呪符の木簡です。災いとなる邪気を防ぐために木簡に宗教的絵、記号、図形、文字が描かれているものです。
平安時代の坏には、暗分という表面にうっすらと文様が描かれているものがあります。こちらは、外中代遺跡(甲府市)の土器ですが、首を伸ばした鳥が魚をとらえているので鵜を描いたもので豊漁を願ったと考えられるといいます。
釣り手土器
縄文時代に戻りますが、釣手土器(香炉型土器)があります。中部高地の縄文時代に見られる火を灯したとみられる土器です。出土数は少なく儀式に使われたと考えられます。顔に見えるものや、表と裏で全く異なる表情異なることなど、信仰や儀式に使われたと考えられます。
ドクロのように見えます。肥道遺跡(北杜市)の釣手土器になります。
同じ土器と思えないほど反対側はシンプルに作られています。
こちらは安道寺遺跡(甲州市)の釣手土器です。
続いてキャプションがなかったのですが、有名な大深山遺跡(長野県川上村)の釣手土器(通称ウルトラマン土器)の模造品と思われます。
うつす(鏡)
続いて古墳時代の鏡が並び「うつす」についての展示です。
弥生時代より鏡は邪を払う祭具として、日本の祭祀に浸透したといいます。山梨に本格的に鏡が入ってくるのは古墳時代前期からです。
丸山塚古墳(甲府市)から出土した画文帯環状乳四神四獣鏡です。ここには神像と神獣が交互に配置されており仙人の世界(神仙思想)が描かれているといいます。
亀甲塚古墳(笛吹市)の盤龍鏡は口をあけた龍が描かれています。辰年の正月の展示でもお目にかかった資料です。
また、勾玉は魔除けとして使われたと考えられていますが、下記画像のような子持勾玉は多産の意味を持つとといいます。
祭具としての鏡は存在を続け室町時代から江戸時代にかけ流行した蓬莱鏡には「鶴」「亀」「松」など吉祥句や縁起物が扱われてています。
うつす(甲府城の出土品)
続いて、甲府城跡から発掘された資料が並びます。
甲府城に関連するものからでも、鏡で邪をはらったり、人形のような身代わりに穢れを「うつす」行為をしたたほか、狐といった動物を神の使いを奉納したり、さまざまな「うつす」行為の道具が並びます。
こちらは金箔や朱が施された甲府城築城期のものとみられる鬼瓦です。本丸近くから発掘されています。この瓦は風神を模しています。こうした鬼瓦は悪霊が建物に入らないよう呪いの意味で付けられたといいます。
展示にはありませんが、甲府城からは金箔の残る鯱瓦も出土しています。
余談になりますが、天守台は現存するものの天守閣の有無がたびたび議論となりました。天守閣の存在を示した史料は今のところ発見されておりません。
続いて、石垣の築石ですが、線刻されたものが一部存在します。ドーマン(井桁のような9本線)、セーマン(一筆書きの五芒星)、邪気を払うX印など明らかに呪いと分かるものがあるといいます。展示にある石はドーマンが線刻されています。
こうした線刻石は、鬼門や裏鬼門の方角から見つかったり、地盤の弱い場所などにあったといいます。
うつす(動物、形代)
また甲府城内にはかつて稲荷社がありました。稲荷社は甲府市内の遊亀公園内に移転しています。かつての社のあたりからは狛狐に関する資料が発掘されています。
動物を模した土製品は県内各地で見られます。
土馬は雨乞い神事のために生きた馬の身代わりに使ったと考えるのが有力説といいます。
形代は、人、馬、牛、鳥、刀、男性器など種類が多いです。
人形の形代は病気や怪我など体の悪いところを人形に移して川に流すなどしたようです。
釈迦堂遺跡のものですが、平安時代のもので鉄製の人形です。
大蔵経寺前遺跡(笛吹市)の人形土製品はどことなくユーモラスです。
富士山の猿石
こちらは富士山にあった猿の石像です。
富士山が孝安天皇92年の庚申の年に出現したという伝承から「申=猿」で富士山の神使とされてきたといいます。現在も吉田口登山道の入口の鳥居の脇には狛犬ならぬ猿像が立っています。
展示資料は旧登山道脇の石垣に置かれていたものです。対のはすが1体分のみになっています。
「赤」の意味
赤い色は血液を連想させ、魔除けや神聖さ、生命力などの意味が込められるようになったといいます。神社の鳥居の赤、祝い事の赤飯など現代社会にも残っているといいます。
榎田遺跡(甲府市)と下西畑遺跡(甲州市)の二重口縁壺は底が打ち欠いており容器として機能しません。これらは古墳の周溝墓から発見されており、葬送儀礼目的に使用されたといいます。
上の平遺跡(甲府市)、松ノ尾遺跡(甲斐市)の土器も古墳の周溝墓から出土していますが、赤く彩色されており葬送に赤かの意味があることが分かります。
「赤」の彩色はベンガラが入手しやすく山梨の古墳でも多く使われています。ベンガラを入れていた壺も見つかっています。下記画像中央の中身の詰まった小さい壺です。
北畑南遺跡(笛吹市石和町)では4メートル下の地層から古墳時代の住居や祭祀遺構が発見されています。土器が集積しており、滑石製の玉や鉄製品などが見つかっています。
堆積していた土器は小型丸底壺と高坏が中心でしたが、鉄製の斧も出土しています。
北畑南遺跡でも、比較的大きめの土器は大きく一部が欠きられており葬送儀礼目的に使用されたと思われます。
かく
墨などで文字が書かれた墨書土器が多数並び、「かく」についての展示です。
土器に書かれている文字はさまざまで、地名、地形、集団名などありますが、展示では呪術的な要素を持つ資料を選んで展示しているといいます。
当時の文字は知識階級しか扱えなかったので一文字を書いただけの土器でも呪術的な意味にもとらえられていたといいます。絵や印(記号)を描くこともあり、人の顔だったり印を書くことは呪いとみることができるといいます。
北杜市の遺跡からの墨書土器があります。竹原遺跡「前酒杯」「福」「福」、寺所遺跡は鏡文字で「馬」、旭東久保遺跡は「禅」の文字が確認できます。
笹見原遺跡(忍野村)からは「水神」「川匂」とかかれており、作物の豊かな実り、自然災害を鎮めるためなど、水に関する呪いと考えられるといいます。
松本市の小池遺跡では「神」と書かれた土器が出土していますが、甲斐で生産される「甲斐型坏」に書かれており、解説では、松本において甲斐の人物が呪いの文字を書いたのではと想像をめぐらせています。
守護の印とされるドーマン、セーマンの書かれた土器と木簡があります。
ドーマンは平安時代の陰陽師蘆屋道満に由来します。大切なモノを守るとされた九本の井桁のような印です。
宮屋ノ前遺跡(韮崎市)の土器には省略型の「井」でドーマンが描かれています。
五芒星(セーマン)は平安時代の陰陽師安部清明に由来します。一筆書きの星で悪いものが入ってこないようにという意味があります。
こちらは、大師東丹保遺跡(南アルプス市)の呪符木簡(複製品)です。セーマンが描かれています。
また、こちらは中央市豊臣地区で江戸中期築の塚田家住宅で発見された護符です。
唐の女帝則天武后が考案したと考えられる則天文字というものがあります。墨書土器に書かれる事例が多く、湯沢遺跡(北杜市)の皿にも書かれており、特異な字に呪力を感じたのではないかといいます。
いのる
最後は「いのる」です。
こちらは、上窪遺跡(中央市)の墓跡です。日本の土壌は酸性のため古い時代の墓が良好な状態で残ることはたいへん稀ですが、上窪遺跡(中央市)の墓跡は、埋葬した際の状態が保たれていました。
斎串、歯、繊維製植物、植物敷、櫛、下駄が積み重ねられた状態になっており、歯と下駄の大きさから大人の女性と推測しているといいます。
また、建物を建てる上で現代にも通じる地鎮に触れています。
甲府城で密教系の法具が発掘されています。
稲荷櫓の地中から輪宝が6点発掘されています。稲荷櫓が江戸時代に改修されておりその時の地鎮の使われたと考えられるといいます。
武田城下町遺跡と甲府城下町遺跡で同じような地鎮の痕跡が確認されています。燈明皿が伏せられた状態で中に水晶、メノウなどが置かれていました。
また、炭化した籾と米、溶けた銅、呪符のような紙片も確認され、陰陽五行の要素を地鎮に取り入れていることが伺えるといいます。
江戸時代の地鎮には地域性や宗教の多様性がみられるといいますが、北杜市明野町でも似た遺構が確認されていることからある程度同じ作法が広がりをもっていたと考えられといいます。
こちらは、富士御室浅間神社里宮の西側の溶岩から出土した水晶、経石、剣型鉄製品です。溶岩の中央に四角の穴が開けられて、蓋をして入れられていたといいます。もともと祠が建てられていた場所であるため地鎮具と考えられます。
山宮地遺跡(甲府市)では、竪穴上遺構の壁から仏具を含む銅製品が固って出土しています。甲斐金峰山への登山道に隣接しており山岳信仰に関わる儀礼を終えたあと埋納された可能性があるといいます。
甲府市内の七覚山円楽寺に伝わる奉納経筒とその中に入っていた泥筒です。奉納経筒は、法華経六十六部を書写して一国一部ずつ納経したまわった「六十六部聖」という民間信仰によるものです。銘文から下総の住人が奉納したもので、内部に五輪塔型泥筒が収められていました。内部は法華経も収められていたはずですが残されていなかったといいます。
おわりに
内容は極めて真面目な考古の展示でした。オブジェ的な祭壇とか演出がかった部分は必要ないほうがいい気がします。扱うモノは多岐に渡っており情報量の多い展示で、これで企画展示のため無料なのはたいへんありがたいです。
酷暑の甲府盆地で涼しい館内にて時間を過ごすことが出来ました。
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