【感想】映画『本心』
今月楽しみにしていた期待作『本心』という作品を見ました。
原作は、芥川賞作家の平野啓一郎先生が記したもので二年前に読んでから書評として感想も記している作品でもあり、映画を見るにあたって物語も事前に頭には入っていました。
近い将来的にも実現化しそうなデジタル社会の実態を描きつつ、 ‘‘自由死’’という自らが命を絶つことを望んだ母の本心を知ることを決意した一人の青年の葛藤を描いた物語であり、死生観や倫理観を問う複雑な感情が込み上がるものがありました。
何故、母は自由死を選んだのか。
母の本当の心を知る為に息子の朔也はAIによって母を蘇らせる。
生前に母は朔也に大事な話があると言い残して亡くなり、二人で過ごした時間はとても幸せそうだったのに死を選択させた動機を巡って、母の本心を知る為に生前のパーソナルデータをAIに集約させる技術 VF(バーチャルフィギュア)というもので母の真相を知ることになります。
開発者の野崎が言った本物以上のお母さんを作るという技術のVFによって膨大なデータ収集の為に母の親友だったという三好という女性に出会うことになる。
三好と接していた母の一面をVFに取り込ませていき、朔也は自分の知らなかった一面の母の本心を知ることになっていきます。
原作から映画を見て思ったことは、映画版の『本心』は原作とはまた違って凄く興味深い内容でしたし面白かったです。
朔也の母のAI化以外にも、身体が不自由な人が本物の人間を使ってリアルアバターとして、やってもらいたいことを代行するという世の中は近い将来あり得ることだと思いました。
利便性が豊かになった科学技術の進歩により、それを上手く悪用し、心の悪い人間が犯罪を犯したり、酷いことをしたりとそうした問題点も色々と考えられることもありました。
リアルな人間とVFの見分けがつけられないこの世の中で、私たちの心はどこへ向けられるのだろうか。
『本心』で描かれる、新しい時代による倫理観の受容は本来の自己を喪失しかねないことがある。
朔也がこうした社会の急激な変化に戸惑いつつも、自我を見失わないように葛藤するところはとても感動させられるものがありました。
朔也が働いていたリアルアバターという仕事は恐らく、実際に現実社会でもいずれは起こりうる可能性としては極めて高いだろうと思いました。
野崎の言った言葉で印象的なシーンがあったが、‘‘人は違う一面を隠し持っている’’という言葉が特に頭に深く残っていて、人の本心を知る必要があれば、知らないでそのままでいることも、どちらも正しいことなのではないかと感じさせられることがありました。
朔也は三好や様々な人との関わりによって、母の本心を知ることになる。
朔也にとって、それが正しかったことか間違いだったことを決めるのは朔也自身の問題でもあります。
私自身や家族や友人も、自らの本心は隠し持っていて、今でも知らないでいる一面は必ずあるものだと思っています。
VFやリアルアバターなどに見られるAI化は、人類にとって果たして正しき選択なのか、悪い選択なのだろうか。
『本心』は現代の抱える大きな問題点を包括した重要な作品だと考えさせられるものがありました。