針刺し ーすべてのいたみを受け止めるー
針刺しの歴史
針の発明はたいへん古く旧石器時代の後期(7万年から1万年前!)には骨製の針が存在してました。その後、鉄製が登場し裁縫用の針は今から3~4万年前には使われていたとされています。
日本へは中国から渡ってきましたが(正倉院に納められているのだとか)室町時代にはすでに国産針があったそうです。
針は布を接いだり留めたりするのに便利な道具ですが、小さく先が尖っているため、体を傷つけてしまいます。そこで針を収納する針ケースが登場しました。針は貴重なものですから象牙などのケースにしまわれていましたが、出し入れが便利なクッション状の針刺しがヨーロッパで中世以降に登場し、徐々にポピュラーになり現在に至るようです。ピンピロー(私はこの呼び名が好き)ピンクッション、針山、針立てなどと呼ばれています。
18世紀のアメリカやイギリスではピンボールという名前で小さいボール状の針山を腰に下げ、いつでも洋服のお直しができるようにしていたそうです。19世紀に安全ピンが再発明されるまで、裁縫や手芸などの仕事だけでなく、針は日常的に利用する衣服の大事な留め具でもあったのです。貧富の差関係なく、女性達にとって身近で重要な道具でした。ですから針刺しは凝った刺繍模様やイニシャル入り、愛の言葉入りなど、様々な愛情を込めたデザインが散見されます。
たいへん身近な日用品であること、そして針の比喩的表現から、道具としての針や針刺ではなく求婚や愛の贈り物として、手づくりの針刺しが表現されるようになりました。
機能のない針刺し
現在調べている中で、代表的な表現が2つあります。
ひとつは傷病兵が療養中に故郷の愛する人への記念品として製作されたものでスウィートハート・ピンクッションと呼ばれています。初期のものは19世紀後半、クリミア戦争から第一次世界大戦(1914-1918)まで作られました。遠く離れた恋人や家族への切ない思いと針を刺した時の体の痛みが似ている事から、針と針刺しで表現されました。
ハート形の針刺しに沢山の待ち針を連続して刺し、文字や装飾を施しています。もともとは制作キットを利用しているため、一般的なモチーフや素材が多く見受けられますが、コラージュしたり、ビーズや刺繍で年号、名前、メッセージを入れたり、素朴で個性あふれる表現に彼らの強い愛情を垣間みることができます。
興味あればネットで検索してみてください。たくさん画像がでてきます。
ひと針ひと針「愛のいたみ」を自分(相手)の心臓(針刺し)へと刺し続ける気迫はやや恐ろしさも感じられますが、そのシンプルかつ強い表現に私は魅了されます。
レイエット・ピンクッションという祈りの針刺しもあります。イギリスビクトリア時代1770年頃から1890年頃まで出産祝いとして手づくりの針刺しを新生児やお母さんへ贈る習慣がありました。(または自分で作ったらしい)
「For every pin a pain-針の数だけ痛みがある-」「More pins, more pain-針が増える、痛みが増える-」という言葉に表されるように、鋭利な針は体感的な「いたみ」があり、針刺しには「いたみ」を伴いながらすべての針を受け止めるという比喩的な表現がありました。よって出産前に針刺しを贈ることは非常に不吉だと考えられていました。針や針刺しは陣痛の痛みと結びついていたのです。
「いたみを乗り越え、無事に出産ができた」記念として出産後、待ち針でお祝いの言葉を刺した針刺しを贈り、無事を祝ったのだそうです。(また安全ピンがない時代、おしめを留めるのに待ち針が必要だったため贈る意味もあった。)
針や針刺しは道具としての機能だけでなく、祈りのシンボルとしても使われていたのです。
わたしにとっての針刺し
手刺繍の制作中は針刺しに針の抜き差しを何度も何度も繰り返します。
誤って自分の指を針に刺して痛みを伴うことも頻繁にあります。その状況を観察していると、針刺しは私にとって「いたみ」を受け止めてくれる大事な装置のように思えます。
怪我を伴う繊細な針は、日常の中で起こる様々な心のいたみや生きることの恐怖の分身であり、受け留める針刺しは自分自身のように見えてくるのです。
私の愛用の針刺しは韓国製針刺しなのですが、沢山の針を抱え、どっしりと構えていて、いかなるいたみにも負けない頼れる面構えをしています。
いにしえの女性たちも「こころのいたみ」を受け止めるのに針刺しを想像していたに違いありません。だからこそ、いつも共にいる針刺しに愛情を注ぎ、祈りを込めてお気に入りの愛の言葉や色や形で針刺しを装飾したのではないでしょうか?
今回私は針の比喩的な表現である
「For every pin a pain -針の数だけ痛たみがある-」
という言葉を手刺繍した針刺しを作りました。
針の数は私たちが心に抱えた「いたみ」の数、私たちが生きている年数かもしれません、または悲しみを抱え苦しんでいる人の数なのかもしれません。
自分自身が針を受ける針刺しとして、いたみを伴いながら、そこから解放されるであろう未来への希望を込めて作りました。
愛用している針刺しのように、どっしり構えた生き方がしたいものです。
針刺しシリーズはこれからも作り続けていきたいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?