見出し画像

ASD自身もカサンドラになりうるのか



▪️カサンドラ症候群とは

カサンドラ症候群は、夫や妻、あるいは家族がアスペルガー症候群(自閉症スペクトラム障害、ASD)のため適切な意思疎通を築くことができず、精神的・肉体的な症状を表すものとされています。

カサンドラ症候群はDSM-5など世界的に広く用いられている精神疾患の疾患名ではありません。対人関係により心身症状が生じている状態を指す言葉です。

また、アスペルガー症候群という名称も現在は使用されておらず、自閉症スペクトラム障害(ASD)に包含されています。

▪️カサンドラ症候群の特徴

カサンドラ症候群は正式な疾患名ではないため、この症状があればカサンドラ症候群という診断基準はありません。

イギリスの心理カウンセラーでカサンドラ症候群に関する書籍を多く出版しているマクシーン・アストン氏によると、カサンドラ症候群の要素として以下の3つを挙げています。

少なくとも1人のパートナーがASDの特性などによって心の知能指数が低い、もしくは失感情症の障害がある
パートナーとの関係性において、感情的な交流の不足による対立や精神的、身体的な虐待、人間関係における不満がある
精神的、身体的な症状が見られる

3の精神的、身体的症状例は以下です。

抑うつ
自己肯定感の低下
不眠
無気力
頭痛
孤独感
不安障害(パニック発作)
体重増加(もしくは体重減少)
情緒不安定
動悸、めまい
罪悪感
自己喪失感

(出典元 https://tokyo-brain.clinic/psychiatric-illness/asd/1153)



私自身がASDなのだけれども、それでもカサンドラになる気持ちが分かる。カサンドラになるのは女性で、ASDの夫がいるというのも分かる。ASDは失感情症の特性があり、多くの女性は共感して欲しい生き物だからだ。

過去に家族、恋人、友人に、「言っても無駄。全然言ってること聞いてくれない。諦めよう。好きにさせよう。人生の経験から先々学んでもらおう」そんな思いをさせてきた自覚はある。今現在は共感というよりも知識として他者の感覚を理解している。自身の経験から人の感情を知ったり、または本や映画などのストーリーなどから得た知識から身につけていったものだと思う。本人が吸収する気があるならば、歳を追うごとに、または経験を積み重ねることでマシになっていくだろうと、自身を観察して思う。つまり『共感』というものを理解してもらうまでには一足飛びにはいかず、ある程度の年月が必要になる。未来には期待が持てはするが、そこには個人差もあり、一生人に寄り添えない人もいるだろう。当時の感覚を振り返るなら、視野が狭く、それが広がるのを阻害する何かがあった。脳機能なのか、精神からくるものなのか分からないけれど、壁のようなものがあったように思う。身を守るための機能なのかもしれない。そしてそれがなくなった瞬間も覚えている。40代になってからだ。気が遠くなるだろうか。

私は人にカサンドラを生み出す特性を持ちつつも、同じようにASDに苦しんでもいる。今月は第三者を交えての会議のようなものを2回行い、『気持ちが分かってもらえない苦しみ』を第三者に理解してもらうことで、救われた気持ちを少し得られた。カサンドラを育てる原因に『周囲につらさを理解してもらえない』というものもあり、幸い私のまわりにはASDも多ければその家族や恋人も多いので、こうして共感を得られる。この事柄に関しては私も共感できる。共感できる事項が少ないだけで、共感力がないわけではないので。普段は人に共感して欲しいとはあまり思わないのだが、大切な人に辛い気持ちに理解を示してもらえないというのは、輪をかけて辛くなることだ。自身の壁が壊せても、相手の壁が阻んでくる。タイトルに関しての答えはイエスだ。可能性はある。ただ理解ができないわけではないので、手前でとどまれる可能性も高い。

解決策としては『共感を別の人、分かってくれる人に求めること』だと思う。無いところに無いものを求めてもしょうがないので、諦める以外無い。若いASDに対しては特にそうだ。そして有るところにある有るものを見るしかないのだ。ASDの人の『有る』ところを見たときに、それでも苦しみの大きさが勝るのであれば、あるいは苦しみが自身を壊してくるならば『物理的距離を置くこと』をお勧めする。一緒にいる時間を短く、薄いものにする。壁を間に置く。身を守ることが第一だから。離れよう。

こうして、まるで自身の刃で傷つけられているようなことを繰り返しながら、自身への理解をより深め、世の多くのASDの当事者とその家族(血縁者は同じくASDである可能性が大きい)、パートナーなどの役にたつ情報にできたら良いなと思っている。休み休み、本当に休み休み、他の理解者の力を借りながら。ASD当事者であるならば、「分かって欲しい」という人の気持ちを、よく理解することを試みるようにしたら、よりはやく大切な人を苦しめなくなるだろう。理解しようと意識を向け、知識を得て、いろんな人の話を聞いてみることだ。歩み寄る姿勢が欠片もなければ、深い関係性を保っていくことは困難だろう。

「この人は。。。」と引いたりおもしろがったりしながらも、長くお友達でいる人たちには感謝。距離感も大事だしね。だいぶ進化したと自身では思っているよ。別の機会に阻害する『壁』について考えを深めてみようと思う。それがなくなったキッカケについても書けたらと思う。


いいなと思ったら応援しよう!