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約3年振りの京都旅行④-1「三条通で地域と平穏を浴びる」

2024.10.14

昨日予想していた通り、早起きの人達が活動を始めた音で目が覚めた(多分6時台)。その後はドミトリーの2段ベッドで、寝たのか起きているのかわからない時間を8時過ぎまで過ごした。洗面所や食堂が混む時間帯を避けて利用する為にはダラダラするしかない。

10時直前にチェックアウトし、仁和寺まで歩いた。中を見ようと思ったら有料だったので止めた。神社はどこも無料なのに、何故寺は有料なのか。人件費・維持費がより掛かるのか。荘厳だもんなあ。
仁和寺前から市バスに乗り、岡崎・祇園方面へ向かう。妻へのお土産を平安神宮前の和菓子屋「平安殿」で買う事、昼飯を祇園のラーメン屋「無双心」で食う事、この2つの用を足す為に。

栗薯蕷(難しくて読めない)。栗が丸々一つ入っており美味であった

三条京阪駅のコインロッカーにリュックを預け、歩いて岡崎へ。平安殿は2021年の5月に妻と結婚式場を探しに来た時に見つけた。
僕は旅行先で知らない店に入る際、インターネットは使わない。グーグルマップや食べログなどには何処かの馬の骨が付けた信憑性の低い星が表示されていて、それを一度目にすれば全く以て不要でしかない先入観ができてしまう。そんなのは本当に、死ぬほどつまらない。もしもこの先、SFの様に目に電子機器を付けられて、あらゆる人・物の星評価が強制的に表示されるディストピアになったら即死したい。

平安餅

平安神宮へも足を運んだ。この辺りは京都市の市街地にしては敷地面積の広い建物や公園が繋がっており、開放的な雰囲気が良い。普段安曇平で暮らしている身からすると、京都市の稠密な街並みには圧迫感を覚えるからな(関東平野育ちとしては信州の高い山々にも覚えるけどな)。
平安神宮の周りには地元民と思しき人も観光客もいて、皆一様に穏やかだ。そんな人々の醸す空気の中に佇んでいると、楽しさや嬉しさや幸せの様なものが、自分の体の中にも入って来る。平穏な休日の昼間が好きさ。

平安神宮前

平安神宮で体の中を浄化してから、祇園へ向かった。その途中、粟田神社の祭礼行列に出くわした。ラッキー。
鉾と子供達の山車、馬に載ったおじさん、大人の御輿がゆっくりと三条通を練り歩く。山車が三条通りから南へ折れて坂道に入ると、拡声器を持ったおじさんが「これから坂きついけど頑張ってやー」と子供達を励ます。良いなあ、都会なのに「地域」なんだな。将来、この子達が大きくなって別の何処かで生きていくとしても、きっとこの地域が根っことして存在し続けることだろう。

古川町商店街

祇園には古川町商店街を抜けて行った。どこまでも商店街好きな僕。ただ、粟田神社の祭りがあるせいか、殆どの店がシャッターを下ろしていた。年に1度の大切な祭礼、商売をしている場合ではないよね。

祇園には沢山人がいた。ここはあからさまに観光地なんだよな。店の種類が古川町や北野とは全然違う。ただし、「いづ重」には寄らねばなるまいて。いつもは稲荷寿司を買うのに、連日の寝不足のせいかそれを忘れて3000円の鯖寿司を買ってしまった(貧乏なので逡巡した)。まあせっかくだからね。信州では逆立ちしても食べられない物だし。

鯖寿司の後は、無双心へ。このお店のことは、かつて北野商店街にあった喫茶店のマスター(元トラック運転手)に教えてもらった。親切なマスターだった。もう会えないのが寂しい。無双心は「芸妓はんも食べにくるラーメン屋」だと教わった。
京都のラーメンというとコッテリの印象があるが、こちらの物は胃の強くない僕でも余裕でスープを飲み干せる。残念ながら「花粉と野焼きPM2.5地獄」での暮らしによって鼻が詰まり続けているので細かい香りがわからなかったが、美味しかったはず(もったいないなぁ)。この旅行中において唯一の「京都で食べた温かい食事」だった。弁当とビジネスホテルの不味い飯しこ食べとらんやったけん。

昼食をとったら、いよいよ京都と別れの時。帰りたくないというか、住みたい。夏の猛烈な暑さに「やっぱ住まなきゃ良かった」と後悔してみたい。



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