「しをかくうま」感想 時をかける馬
「しをかくうま」 著者:九段理恵
過去に頭の中の漠然とした内容をメモ書きにしたものがありましたが、それを今一度文章の形に再構成しました。
この作品は、馬という象徴的な存在を通じて異なる世界や時代を繋ぎ合わせ、壮大な物語を創り出している。
特に注目すべきは、タイトルが平仮名で表記されている点である。この表記は、「死を駆く馬」、「詩を書く馬」、「私を欠く馬」といった多義的な解釈を可能にし、読者に想像の余地を残す効果を持っている。
作者は社会科学の知識に優れており、その知識を基盤に過去、現在、未来のつながりを見出し、それを文学の形式に落とし込んで物語として成立させる能力を持っているという印象であった。また、作者は「音」に対する鋭い感覚を持っており、固有名詞に様々な意味を込めることができる余地を持たせている。これは、作品全体にわたって表現の多義性と音韻的な深みを与えている。
芥川賞受賞以降、この作品は「AI」というキーワードで語られることが多いが、これは社会変化への敏感な反応として解釈できる。作者は資本主義や加速主義に対する反発を表明すると同時に、創作活動や受け手側の感性が衰退することへの危機感を表現している。
具体的には、競走馬の名前に関する描写が挙げられる。競走馬の名前には、音韻や発音、呼び方の違いによって様々なイメージや意味が込められており、それらが詩的な世界を形成している。
字面だけでは伝わらない含意を表現するための工夫が見られ、また、想像の余地を残す「余白」の書き方が重要視されている。
こうした「余白」に対する感受性の欠如が、作品内で一種の絶望として描かれている。
さらに、仮想世界における馬名の文字数制限の変更(9文字から10文字への変更)は、資本主義のメタファーとして描かれている。合理的最適解が適用されることで創作世界が無味乾燥になり、創作活動そのものが危機に瀕するという懸念が表現されている。
競走馬の交配に関しても、合理化がもたらす影響が描かれている。有名馬のオスが種馬として価値を持ち、交配に大きな付加価値を生む現象は、マッチングアプリにおいても同様である。ここでは、人間の価値が優れた遺伝子を残すことにあると信じる思想が描かれ、これは行き過ぎた合理化の結果としての優生思想的マッチングアプリの問題点を浮き彫りにしている。
馬と人間の関係についての描写では、馬が文化の進歩に与えた影響が強調されている。馬による移動手段の確立が異なる生活圏の人々の交流を促進し、文化の飛躍的進展をもたらしたが、資本主義の進展とともに合理化が進み、文化的余地が失われつつある。AI技術の台頭は、この合理化の一環として、創造的分野にも影響を及ぼし、大衆迎合的な正解の量産がディストピア的な未来像として描かれている。
また、馬の意思や主体性についても言及されており、競走馬が単なる道具ではなく一つの存在として描かれている点が重要である。馬がジョッキーを振り落とす場面は、馬の意思が能動的に表現されている例であり、人間中心主義に対する批判として機能している。
この描写は、地球規模での共同体意識の喪失や資本主義的所有へのアンチテーゼとしても解釈できる。
最後に、名前の文字数と文化的進歩の関係について言及されている。一文字の名前は未成熟であり、柔軟性や自由度の拡大が文化的進歩として示されているが、未来における「TRANSSNART」のような左右対称で完成された名前は、成長しないことや停滞、さらには死を含意する可能性がある。
この作品は、文化や創造の未来に対する深い洞察と危惧を抱いた作者の思いが込められたものであり、読む者に強烈な印象を残す。
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