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魂の真の歓び

現界的の目には同一の場所なれども、霊的には次々と、すこぶる頻々と変化しつつあるなり。

たとえば、大本内でも、時に高天原たり、また、時に幽界の現出たり。三五教たる時、バラモン教たる時、ウラル教たる時と、千変万化しつつあるなり。

同一の肉体でも、本霊と直接感応している時、副守護神に支配されている時、自己以外の人の霊に動かされている時、というふうに、一定の期間(霊界的)が次々と来往しつつあるなり。面白きものなり。

魂の真の歓びは和合である。両者の区別がつかぬほどに融合してしまった時ほど大なる歓びはない。

これは、守護神と肉体との和合であり、また、真の恋愛にある男女の和合である。

和合の原則は、陰陽の合致においてもっとも完全なりということができる。平たく言えば、相愛の男女間でなければ、真の和合は成り立ちがたいのである。この意味において、いま少しく、恋愛というものを神聖に考えねばならぬ。これは人生の基本問題なのである。

ただし現界という所は、みたまの焼き直し場であるから、時に、肉体と守護神とが一致していない場合があり、男女双方の守護神同士は真に和合することができても、肉体はそうでないこともある。また、この守護神が去る時には、まえの和合が破れやすい。だから、最初の恋なるものが、かならずしも、最後まで本物として残されるとはいかないことが往々がある。

ただしこれは、深遠なる神の思し召しがその間にはたらいているのであって、人間としては、その時その時の気持に従うより外に仕方はない。

出口日出麿著、『信仰覚書』第四巻、魂の真の歓び

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