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【人生ノート325】

公平に自他を観る

自分のみが見えて、他人のことが皆目わからぬ連中にも困ったものだ。こうした連中にかぎって、キツイ我利々々で、他人への迷惑なんか一向おかまいなしなんだ。

だから、自分で苦労してみねば他人のことは分からぬというのだ。

上もわかり、下もわからねばならぬ。

要するに、何事でも体験してみねば分かるものではない。これ以外に学問はない。

盗人にも三分の理といって、どんな悪人にでも多少の理由はキットある。

昔から、その罪を憎んでその人を憎まずという諺があるが、自分はいいたい、その罪の原因をにくんで、

その罪を憎まずと。

真の大偉業というものは、捨て身になった人にして始めて成しとげらる。

これは平凡な真理であるが、めったに捨て身になれないだけの話だ。

言葉は少なくして効果あらしむべし。相手に考える余裕を与えるべし。

ただし、打ち解けた同士が、寝そべっての冗談口は別なり。

自分を知るためには他人を知らざるべからず。周囲の人々と自分とを仔細に比較省察してみて、はじめて自分というものがクッキリと浮き出してくるなり。自分自身に自分がはっきりと分かってくれば、めったに、めくら滅法なふるまいはなきなり。適宜な道が進めるなり。進退、そのよろしきを得るなり。でしゃ張りもしなければ、怖じ気もせぬなり。

自分を知るということは、他人を知ることなり。他人を知ることは自分を知ることなり。

どう考えても、お互いに容(ゆる)し合うということよりほかに、この世界を平和にする方法はない。

各自が自分自身を省みて、断じて人を悪く思わぬようにすべきである。無限の犠牲的精神を養うべきである。事にあたりて自己をむなしゅうすべきである。いかなる罪をも、サラリとその場で許してやる度量にならねばならぬ。

要するに、人は自己の「優秀」をもとめて止まざるものなり。

自己が他人よりも「劣醜」であるということを最も恥とするものである。

それがために、自慢、衒気、軽蔑、虚飾、嫉妬、怨恨等の、いやらしい罪悪が生じてくるのである。普通の人の日常の行動をよく仔細に観察してみるがよい。彼等はちょっとしたことにも、数かぎりなく、以上の罪悪をくり返しているのである。

われわれは自己の優秀を正当に求むべきである。まず第一に、真に自己の充実すべく努力するがよい。いたずらに虚名を博することを大なる恥とすべきである。

また、他人をでき得るかぎり公平に見定めねばならぬ。阿諛迎合を御なる恥とせねばならぬ。メッキに欺かれぬようにせねばならぬ。

俗を相手に自己をみがくことをやめて、天を相手に自己を高めることに孜々(しし)たるべきである。

人を公平に見定めるということは、なかなかむずかしいことである。表面の行為のみをもって、直ちにその人の善悪、

正邪、賢愚等をいうのは、すこぶる浅い見方である。

人は小にしては一家につながっており、大にしては国家につながっている。ほとんど自己の意志によらぬ生活をさせられている人もずいぶん多い。いろいろ他の犠牲にあまんじて、心にもないことをしており、また、知らず知らずさせられている場合は実に多い。

表面は如何にも邪悪な人のごとく思わるれど、要するにそれは、社会制度の罪であるということは

普通のことである。

世間的(せけんてき)な名声の有無な、善悪賢愚の呼び声などに頓着なしに、単刀直入、その人の素質を見定める練習をせねばならぬ。


みほとけか神かは知らずをさな子のまなこし見ればこころ涼しも

あともとめず果てしも知らずゆく水のこのうつそ身は面白きかな

吾ものぞ吾ちちははぞみな吾子皆はらからと思へばたのし

『信仰覚書』第二巻 出口日出麿著 

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