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【人生ノート302】人は物質そのものより、精神そのものを根本とするものである

救うべき時に救え


金銭は物質の代表である。ゆえに、精神と相対立している。

今までの日本人のように、頭から金銭をいやしむ考えはよくない。といって、精神を忘れて金銭そのもののみを追求してはならぬ。

もらった物には義務はつかないが、借りたものには、払うことによりてのみ決裁することができる。僅少の金でも、最初「貸せ」といって得たのなら返さねばならぬ。莫大な金でも、最初「くれ」といって得たのなら、もらったことによって解決はついてしまっている。そのあとには、何物も残っていない。

なんでもないことのようであるが、こういうことには気をつけねばならぬ。それは、人は物質そのものより、

精神そのものを根本とするものであるからである。

若い人などの中には「君のものはわしのもの」というような考えのものがあるが、これは悪い。自他の区別は、あくまでも厳重に立てわけねばならぬ。しかるのちに、互いに助け合うということにせねばならぬ。自他の区別をなくしたら、独立の人格はなくなり、ひと色の無にかえってしまう。

いつまでたっても、金持と貧乏人とは相対して世にあるのだ。それは、当然の理法によっているのだから、いかんとも仕方がない。ただ、世がうつり変わるにしたがって、この当然の理法がうつり変わってゆくまでである。ある時は、武力の強きもの、すなわち貴き富める人であった。つぎには、智恵ある人、すなわち貴き富める人であった。そのつぎには、人格ある人、すなわち貴き富める人であるというふうに、。

協賛主義などという言葉をはき違え、自分にご都合のようように解釈して、とんでもない大それた利己的な、横着な考えになってしまうことを、よく戒めねばならぬ。

貧民救済事業さえさかんになれば、世の中は自然によくなると考えるのは大間違いだ。救済機関が完備すればするほど、人間は依頼心が強くなって怠惰に意気地なしになるのは分かりきっている。他に頼る心があっては、なに一つ真剣のことはできるものではない。じゃ、人を物質的に救うということは、よくないのかというに、決してそうではない。まさに、救うべきときに救えというまでである。

易きにつきやすく、利に走りやすいのは人ごころだ。この間の消息に、よりよく留意せねばならぬ。

『信仰覚書』第四巻 出口日出麿著

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