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【人生ノート308】まず相手の現在の心境をよく諒解してやらねばならぬ。
感ずるままに
「自分は孤独だ、世の中の奴はみな路傍の人だ」などと、いわゆる、世のなかを冷眼視している間は、決して悟っているのでもなんでもない。これは、その人の心が狭小なからであって、も一歩すすんで、どんな人とでもお互いに打ちとけさえしたならば、みな親子である、同胞である、ということが腹の底からわかって来なくてはならぬ。また、どんな人に対しても頭から「あいつは悪い奴、けしからぬ野郎だ」などと思うのは間違いである。「あの人は、いまこうした心の段階におるのであるが、やがて、これこれの経路を経て、こういうふうに向上して行くだろう」と、まず相手の現在の心境をよく諒解してやらねばならぬ。
老人になると青年の心を忘れ、健康を回復すると、えて、病弱のころを忘れがちのものだ。
しかし、誰だって昔は寝小便をたれたのであり、「ねんねの守」で寝ついたのである。
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なぜ、神話や伝説が霊的にみて非常に価値があるかというに、まず第一に、すべて古代より言い伝えたものは、その各時代を通じて、人間の魂の奥底のどこかに触れるものが必ず存していたがゆえである。第二、これら神話や伝説なるものは、いずれも、純情的な古代の人間の想念を通じて流れ出たもので、しかも、これら想念は、すなわち霊界を物語るものであるからである。だから、表面上では取るに足らぬ荒唐無稽お伽噺ではあるが、その内容に含蓄されている霊的暗示というものは、非常なものなのである。
森羅万象、この自然界にあらわれているものことごとくは、それぞれ霊的暗示をなしているのであって、顔は心の鏡であり、現界は霊界の移写であるゆえんである。
ゆえに、語られ記された一小話といえども、それが、まさしく、霊界よりの流入によってものされたものであるなれば、これは実に価値あるものといわねばならぬ。
『信仰雑話』出口日出麿著