失敗は成功した時の出汁

ここ数年間で挑戦してきたことの一つで、小学生からの夢を叶えるという機会があった。

詳細はまたということにして、青天の霹靂、急転直下まさかのお蔵入り&そのチャンスは手からこぼれ落ちた。
 
お風呂で髪の毛を見つけてすくった瞬間手には残っていなかったような感覚だった
 
チャンスの神様の前髪をすくうことは出来なかったのだ。
 
あの日から3年。
 
実は毎年、自分以外の夢が叶っていくところをまざまざと見せつけられる。

いや、むしろ自分から目に焼き付けに行っていると言っても過言ではない。

その場面を観ること自体。自分の反骨心や闘争本能を刺激する為でもある。

あるいは、見届けるという行為がなんらかの修行なのかもしれないと義務感に駆られている節もある。
 
自分と、その、ある所で夢を叶えた人たちと大きく違ったのは、確実に叶う所でまさかの挫折をしたと言うことだ。
 
不思議と落ち込んではいない。
でも根には持っている。蒸し返し続けることで自分の闘争心に火をつけているからだ。

失敗は正直恥ずかしくもあった。
確実だと思い、後輩や友人や家族には伝えていたから。
 
よくよく考えると実はこれはおいしくもなるはずなのだ。

成功したときのこの失敗もこの惨めさもフリになるから。

自分はその現象をお出汁みたいなもんじゃないかと思う。。

なぜならば上手くいった将来のネタのコクになるはずなのだ。

失敗は出汁みたいなもので、出汁そのものは味がしない。けどそこに成功という味が加わったときにとてつもないおいしさになるお味噌汁のように。
 
そんなことは頭でわかっていても
腹の底では、そりゃふて腐れて観ていた。
だってそのくらい保証もないし、その機会は無くなるかもしれない、会いたい人は死ぬかもしれないから。

けれど夢を叶えるパワーって純度が高いから、見てると胸が熱くなるんだよな。

いつの間にか赤の他人がてめぇの夢を叶えている姿を観て、僕自身が嬉しい気持ちになっていた。
ことを身をもって知った。

ポジティブなパワーはネガを凌駕する。
 

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