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地元では人生の外側にいた。

地元を出てから、自分を受け止めるという方向に向かって進むことができた気がする。そして高校までの同級生たちとは基本的に少し距離を置くようになった。(彼ら彼女らが悪いわけではない)

高校までは…周りを見て、自分を『型』に流し込むようにして振る舞っていた。でも…当然ピッタリ型になんてはまらない。そこまで綺麗にいかない。。少しずつ、歪が、ズレがでてくるもの。

小学校から高校まで…。周りの同級生がどれくらい気づいてたか知らない。それなりに友達はいた。だけど私は自分だけが外側にいるような気分ではあった。なかでも高校は進学校で、周りの人々は頭が良くて器用な人たちの集まりだった。だから表面上は上手くいってたけれど。

さてここで家の話。我が家は、まぁ毒っ気の有る親だったと言ってもよいかなと思う。(ネット上の記事やつぶやきを見ていると、とんでもない親が多くいる。なので私のレベルの環境を、毒っ気があったと表現していいのかといつも思ってしまう…)

短い言葉でまとめると「子供のいうことは未熟、子供は親の言うことを聞くべき。聞かなかったら叩いたら良い。子供にプライバシーなんてあるものか。子供は親の望み通りになるべき、希望通りになるべき。」という感じであった。(こう書くと強烈ですね。。)失敗する権利ももらえなかった。先回りして全部塞がれて窮屈だった。自分の部屋も高校3年生になってからだった。受験勉強をもっと長い時間やりたいから、と申告して仕切ってもらった。両親は色んな面における考え方が夫婦で全く違ってて、よく言い争っていた印象がある。まぁ、それはそれで構わないのだが、家の雰囲気が悪くなると何故か私のせいになることも多かったな。

スポーツの大会とかで親御さんが応援に来て励ましたり慰めたり受け止めたりしている姿に驚いたし、親とちゃんと話し合いをするなどという世界線があることにびっくりしたものよ。。

しかし…たしかに愛情はあったのだったよなぁと思う。母はカリスマ家政婦になれるんじゃないかというレベルの家事能力の持ち主で、隅々まで家を整え料理を作り家族の世話を焼いていた。父は勉強熱心の読書好き、博学だったし、不器用ながら情の深い人だった。

母のお陰で規則正しい生活をして身体を作ることができた、父のお陰でテストに出るやり方だけ覚えて…ではなく、その一段下にある仕組みや論理のこと、考えるとはどういうことか…を学ぶことができた。

自然の多いところにたくさん行きハイキングに行き、足腰がメチャクチャ鍛えられた。経済状況を考えて塾にはいかなかったけど、ほしいという問題集は全部買ってくれた。

そして、大学以降。『なぜわたしの親はあんな感じなんやろか』と、時代背景、彼らが育った土地、彼らの兄弟姉妹や親子関係も含めて未熟な頭で分析したりもした。

誰しもおとなになっても未消化の課題があるものだ。それは本人だけの問題ではなく社会情勢や育った環境や複合的なものでもあると思う。そしてうちの場合はそれが子育てにおいて良くない方向に現れていたのかなぁとも思ったりもした。そして親たちがその様になった理由もある、とメカニズムについては納得はできた。

だからって子供に背負わせていいわけではないので賛同はしないにしても、訳のわからないだけだった物事の姿が少し見えてきたらまた違ってくるものだ。そのあたりをゆっくり考えることができたのは地元を出てからの出会いの数々だった。

そう、私は地元をでた。私に『やられっぱなしでたまるか。私はおかしくないぞ!』という謎のド根性のようなものが生来備わっていたのは幸運だとしか言いようがないのである。そして意地でも家から出さないと言う親を説き伏せてなんとか家を出してもらう方法を考えた。ここにいては何も動かないどころか確実に自分の人生が行き詰まると分かっていたから。でも誰かを悲しませるのではなくて三方良しとなる方法がよかった。考えて考えて、詳細は避けるが大学進学時に家を出た。学費免除などが取れる見込みもあった。

さて、関西生まれなので、大学以降は家庭のことを笑いに変えることあった。まわりの人たちも親関係で大なり小なりあったこともあり、みんなで笑いになったし、そうやってお互いに笑いを取り入れて身の上をユーモアを交えて話し合うことでそれぞれが癒しにつながった部分もあったと思う。関西に生まれたこともまた幸運であった。

歪な自分が周りに迷惑をかけながら、バランスの悪い行動をとりながら、息ができる場所を探し、作っていった。周りの人たちは私の奥にあるものを見ながそっと見守ってくれる人たちも多かった。きっと似た経験をした先輩たちもその中にいたんだろう。そうやって、20年遅れくらいで自分を作ってきた。

前述した通り、それは全て大学入学以降のことだ。高校生までの自分も大切な自分だけど…少し同級生とは距離を置きたくなったりする(重ねて言うが彼らが悪いわけではない)。また外側になるから。自分を型に流し込まなくちゃいけないから。

一方で、たまたま同級生や同じ学校だっただけで卒業後に出会った人などは大丈夫だったりもする。当時からの知り合いなんじゃないから当たり前といえば当たり前か。でも、そうなると、今後、同窓会や部活の集まりなどの機会があったときに、構えず出席したりできる日が来るのかもしれない。そんな瞬間を穏やかに待っていたりもするのです。


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Canna Natsuki
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