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フォロワーさんは、この原稿には絶対関わるべからず ②  言うは易し、行うは難し。

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冬月剣太郎 猫詩人殿による初稿⤵

初稿のスクショ

冬月剣太郎 猫詩人殿による修正稿⤵

修正稿のスクショ


さて冬月氏。毎日真面目に原稿をアップしておられるご仁なのだが、今日は今のところ修正稿を上げたきりである。
すなわち、わたしの原稿を読んで頂いた上で修正稿を上げ、当方の返しをお待ち頂いているのだろうと推察申し上げる。

初稿と修正稿の大きな違いは、一歩踏み込み「嘘」という言葉を多用している処だろう。一部抜粋、インラインでお返ししてみようと思う。
『ウソをつかない完全に正しい人間などいるわけもありませんが』とある。

冬月氏、あなた、そもそもここの入り口が間違っているのだよ。
そういう見識で人間を眺めること自体が私に云わせれば余計なお世話、何様かとなるのである。貴兄そういえば、この二本前の原稿でも、何様チックな原稿書いておられましたな。
 
 これは個人主義ということではない
 もしも万が一、わたしが本当に個人主義であるとするのなら、匿名免罪符を使い倒し、冬月氏のように、幾つかのペンネームを使いまわし、本名はブラインドのままに好き勝手な綺麗ごとを書くだろう。

 誤解して欲しくない。わたしが自分の名前を晒し、十字架を負いながらものを書く理由など、ここでひけらかすつもりは無い。どの様に感じて頂いても結構なのだ。ただし、もしも万が一「断ずる」行為に及ぶのなら、物書きである以上、責任が取れるものを書き給え。それがプロだ。
それが権利と責任の関係だ。

 ウソはつかれる人間がいれば、つく人間がいるから成立する。であるのなら、つかれた人間の言質のみに頼ることなく、ついた側の人間に確認してみることが合理ではないのか。
 尋ねてみよ。嘘をついたと思しき人間に。なんという返事が返ってくるか。それぐらいのことは貴兄なら書くまでもなく理解できるだろう。

 今の時代、何が嘘で何がホントで、何処まで真実で、どれほど盛っているかなどわかったものではない。挙句が、つかれた方もついた方も、匿名免罪符をぶら提げた上でのやり取り。そこに絡むオッチョコチョイノ皆さんも匿名免罪符と来た日には、まるで伝言ゲーム。最後には全く違った話になっているなんて云うこともザラにある。


なんでもあり
はね冬月さん、何にでも首を突っ込むから何でもありになるのだよ。そういうものに首を突っ込む人間をデバガメというぐらいは解っているでしょうに。70歳なのだから。

 ちなみにこれは主観だが___________貴兄の『ウソをつかない完全に正しい人間などいるわけもありませんが』この言葉。わたしには、まるで自分の言い訳をしている様に読めて仕方が無いのだが。どうだろう。晩節もあるでしょう。折角です。この辺りで十字架背負って、本名に紐づけて創作活動をされてみては。
 イデオロギーやアイデンティティーをかざしたいのならシッカリとケツを拭く体制を整えてやられますよう。それから、わたしに物を云いたいのであれば、本名ぶら提げて正面からいらっしゃい。私はいつもここにいるから。


責 筆名 飛鳥世一 本名 鳥井信宏


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