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俺流解説編 ショートショート『小説 Fae Trap 』

俺流解説編 ショートショート『小説 Fae Trap 』


いつも書かせてもらうことだが、解説を書くのは調子に乗って書いているわけではないので悪しからず。むしろ、自分のために書いているという目的の方が強い。興味がある人だけが読んでくれれば十分です。
少なくとも、自分が何をどの様に書いたのかはしっかり知っておくことも必要でしょう。まだまだ、評価を受けられるような身からは程遠いのですから
ちゃんと意志だけは機能させておきたい。

『小説 Fae Trap 』の面白味は、詩小説であるということでしょう。
わたしはこれを「ポエベル」と呼ぶことにした(笑)

どうでしょう。おかしな雰囲気を感じて頂くことできただろうか。
有り難い、有り難い、読み手さんから頂いた一つのコメントに______ 、
『あかい花と少年が重なっていくようで、文章も風のようでおもしろかったです!』と頂いたのだが、この「おもしろかったです」というのは、この作品に対する最上級の誉め言葉を頂戴したと感じている。
感じ方は、感じ手が都合よく感じるに限るのであります。

むしろ、"おもしろかった"としか表現のしようが無かったのかもしれない。何故なら、それが「おかしな雰囲気」に繋がってゆくからなのだが。

これは、普通の小説では出来ないことを可能としてくれたという「面白味」の存在があるのだが、それは「人称」に顕れる。
 通常の小説の場合、地文は一人称、三人称が常套となる。ここでは三人称としている。俗にいう神語りでもある。

 しかし、そこに詩が入り込むことによって、話しを空中浮遊させることが可能になる。途中まで、三人称の地文と、一人称の詩編が紡がれてゆくことは分って頂けると思う。
ところが、後半でその前提が崩れる。
所謂、わたし流にいう処の、足元をぐらつかせるという狙いへの導入だ。

例えばと云うことで眺めて欲しい。
この小説のエンディング手前が最も我が魂を散りばめた場面となるのだが…… この詩の登場によって、作品自体が朧にくるまれたようになる。

「えっ ? なに ? どうした ? 何か変だ ! ! 何処に戻ってもう一度読めばよい ?」となることを狙っている。

赤い花よ
わたしはきみが好きだ
わたしを美しく見せてくれる
きみが好きだ
みんなが一緒に首を揺らす
それでもきみを見失うことは無い
たった一輪赤いから

知ってるかい
妖精の罠というお話しを
きみはどちらに眼がゆくだろう
一輪の赤い花
大勢の黄色い花たち
どちらが妖精の罠なのだろう
次元の狭間に飛ばされるのは
どちらの花に触れたらだろう

わたしは赤い花に触れてるよ
…… 飛ばされずに


この自由詩においての語り手は、ご理解いただけるように「熊蜂」である。そして、熊蜂の語りが向く先は二人いるのだ。
前段は、赤い花
後段は、少年である

即ち、少年は熊蜂の視点をかり、赤い花と書き手の少年自身に向けて語り掛けている。

 わたしが小説というものに持つ感覚からするのであれば、合理性をもたせることは極めて難しいと感じている。「詩」という存在がこれをすることに合理性を担保し得ていると感じる。しかし、これを小説として可能とする方法は無いのだろうか。
 多分あるのだろう。そう云うテクニックはあるはずだ。
 わたしが出来ないだけだろう。書けないだけだろう。

が、わたしのレベルで考えついたことを書かせて頂くのなら
「劇詩」が思い出される。 劇詩(韻文詩・韻文劇)なら確実にやれる。
劇中劇の理論を持ち込めばやれるはずだ。

文学を学んでいないものの悲しい奠。ここまでだ。目一杯だ。

ただ、今年わたしは韻文詩であり劇詩、詩劇を独学で勉強することができた。この作品の中に、その一端を少しだけ覗かせることができたと思っている。

(笑)タイトルのFaeTrapを最後の最後に文字通り、散りばめてみたのだが
お楽しみいただけたでしょうか。
 熊蜂が妖精だったのかどうかは、読み手にお任せしたいところです♬
たいした問題ではないでしょう。
 あくまでも書き手の欲。こんな思いで書きましたということに尽きるわけで、読んだ方が何を感じて頂けたかはお任せするしかないのです。

どうやら、沢山の方に読んで頂けたようで、本当に感謝しております。
有り難うございました。


※もうね、楽しくて仕方がない。
次々にやってみたいことが出てくる。
小説を書くことが楽しい。
これは新境地だ。
この小説は、読み直して鼻水が垂れてくる。
なんだかグッとくる。
ほとんど病気だわ(笑)

どうやら極鬱に入っているのか。
どうりでこのところ原稿の内容が不安定である(爆)
少し、気がフレてきているのか俺www


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