いかにも俺流。
素人であるが故あまり"こまっしゃくれた"ことを書くつもりはないのだが、文章を紡ぐクリエーターの作品を読んでいると魂が感じられるものとそうでないものは厳然たる違いを感じさせる。
魂という些か不確かであり、ともすると観念的な存在である例えを持ち出すことに申し訳ない思いも募るのだが、多分、文学を学んだ人であり修めた人にとっては違う言葉をもって形容することになるのだろう。
詩と小説を比較した時。詩はエネルギーそのものであり魂そのものなのだろうと思える。詩人間という言葉を以前ここで使っているのだが、そういうことだ。
小説は多分それが出来ないのではないだろうか。読み手がしんどくなるだろう。緩め引き締め撓め捩り捻る。読者もきっとそういうものを愉しんでいるのではないだろうか。一筋縄ではいかんわな…… というところにポロっポロッと魂が感じられ、そこに共感したり感動したりしながら読み進む。
そういう意味において詩はゴスペルに近似する。
noteのなかの詩人クリエーターさんの作品を読ませて頂いて「あらっ?」というものに出くわした。エネルギーが変容しているのである。
それが化学反応の結果の変容であるのか、意図的に成長を目的とした新境地を開拓しようとしているのかはわからない。
選択する言葉。強弱、リズム、メロディー、そして舞台というハーモニー。遠景、近景、時間軸。これらが過去に読ませてもらってきたものと明かな隔たりを感じさせるのである。
良いか悪いかではない。そんなことを云々できるところに身を置いたつもりは無い。敢えて申し上げるなら「好きか嫌いか」になるのかもしれぬが、ここに書いてきたことですら思い過ごしかもしれぬわけだからして、迂闊に好きだ嫌いだも云えぬのである。
ただ「苦しんでおられるのか…… 」「脳汁が迸っているようだ」そう感じながら読むに留め、こうして詩人間になってゆくのだろうなぁ~と思うのでありました。
そういえば思い出したけど、構造に小説との相似性の高いところで創作してらっしゃるクリエーターさんも見受けられるよね。