ただのLGBT映画として見るにはもったいなさすぎる「あしたのパスタはアルデンテ」をひたすら推薦する

「あしたのパスタはアルデンテ(原題:Mine vaganti)」という映画をご存知だろうか?

2010年のイタリア映画だ。
主人公がゲイなので、一応LGBT映画のくくりに入れられている。

ところがこの作品、マイナーなのか、見たという人を周りで見ない上、アマゾンプライムビデオでも配信されていない!

お気に入り作品を熱を持って語る…いわゆる布教というのはめったにしてこなかった私だが、どうしても見る人を増やしたいのでこの映画の魅力を綴ることにした。

極力ネタバレは避けているが、どうしても少しばかり内容に触れる点はあらかじめご了承いただきたい。

ただのゲイもの映画と思うなかれ、これは愛と哲学の映画だ

初めに断っておくと、この作品には腐女子会で語り合いたくなるような萌えは薄い。
主人公がゲイだという要素はわりとおまけに近い。
(いい肉体とか、恋人とのイチャイチャなどのサービスシーンはあるけれど)

主題はどちらかというと、「家族ってなんだろうね?」「愛ってなんだろうね?」「人生ってなんだろうね?」という、もっと哲学的で深いところにある。

ひとつの家族が、家族のカミングアウトをきっかけに、相手への愛、そして自分の人生を見つめ直すというプロセスを描いている。

そうなのだ。
この映画において、LGBT的要素は、ほんのきっかけに過ぎない。
カップルが社会とどう向き合うかではなく、家族がお互いに本音で向き合ったときに、各々に起こる変化を描いているのがこの映画の最大のポイントなのだ。

予告編では「家族だからいつかわかりあえる」と宣伝しているが、本作が描いているのはそんな生易しい感情ではない。
傷むき出しの、飾らない感情と、ぶつかり合って生まれる「受容」がある。
「分かり合う」「理解」なんて小奇麗な上っ面を撫でないからこそ、その結末は切なくて、やさしい。

複雑だがどこにでもある「普通の家族」と、かっこいい婆ちゃん

実は愛人通いがやめられない父、祖母を地雷扱いする母、駆け落ち相手に騙されて実家に戻り居心地の悪いまま踏み出せないでいる叔母、家庭内のヒエラルキーに思うところはあるものの黙っている使用人の二人…
フィクションのため多少脚色はされているが、どの登場人物も「こういう人、こういう関係、実際にあるな」という感じがするのがいい。

ステレオタイプなホモフォビック両親も、極悪人ではなく、一人のただの人の親なのだという、コメディタッチが逆に皮肉とも、哀愁ともいえる描き方。

そんな「訳ありだけど普通の家族」の中で、キーマンである主人公の祖母はひときわ際立っている。

自分の思いを明かせず、人生がおかしな方向に進んでいくことに悩む主人公に彼女は、

人の望み通りの人生なんてつまらないわ

と言った。

夫の弟、ニコラを密かに想い続けていた彼女。
物語前半では、糖尿病と老いのために主人公の母に押し込められるような窮屈な暮らしをしているが、同時に主人公の心の清涼剤や支えになる強さを持ち合わせているというギャップが描かれる。

そして後半、徐々に他の家族が「事件」への受容をすすめるなか、「自分に嘘をつかないで生きる」ことを選択した孫を見て、彼女もある決心を胸に自分の人生の「自由」をその手に取り戻すため、文字通り人生を賭けた行動に出る。

彼女の最後の行動は、常識的に考えれば「良いとされていること」への「反逆」であり、「わがまま」という人もあるかもしれない。
だが、この映画を最後まで見た時、それに対してはたしてありきたりの説教を投げかけられるだろうか?

私は逆に、拍手を送りたくなったし、毎度この映画を見るたびに「自分はこんな風に有終の美を飾れるだろうか?」と自問自答してしまう。

この「自分の人生を自分の手に取り戻す」というのも、家族愛とは何か?という点と共に、本作の大きなテーマなのだ。

そこには、「性的マイノリティが受け入れられる過程」なんてきれいごとじゃなく、もっと根源的でなまなましい、「人生賛歌」への熱いメッセージが感じられる。

生きづらさを抱えたヒロイン(?)アルバの心の内が、刺さりすぎて辛い

この作品でもう一つ推しになるポイントが、アルバというヒロイン(?)の女性である。

といっても、主人公がゲイかつパートナーがいるので、彼女をヒロインと呼称していいかどうかは微妙なところだ。
中盤からとある事件に巻き込まれてパスタ工場を切り盛りしなくてはいけなくなった主人公の相棒として登場するので、バディと呼んだほうがしっくりくるかもしれない。

このアルバというキャラクターの内面の描き方が、セリフが、もう物凄いのである。

彼女は実業家の父を持ち一見裕福そうに見えるのだが、実は母の介護に追われていたこともあり他人、とくに同世代とうまく付き合いを築けないという悩みを抱えていた。

この悩みを主人公のトンマーゾに告白(カミングアウト)した時の彼女のセリフを紹介したい。

早く死んでくれればーー母も私も 楽になれると
でも違ったわ
高校最後の年だった 
それ以来 家に帰ってもーー
することがなくて
ドアを開けてもーー
誰もいないの 私を待ってる人も
必要とする人も
私を大切に想う人も

また、パーティの帰りに参加者の目線を曲解した彼女はこんな告解もしている。

皆の言う事が正しいの
あなたも私を変わり者だと…
(略)
違わない 私は変な人間よ
誰とも友達になれないし
被害妄想だらけで…

見ていて、辛くなった。
主人公の兄が家族から勘当されるシーンも辛かったが、アルバのシーンはそれを上回る辛さがある。

アルバは、自分が発している「自分をあざ笑う周囲の声」が頭に響く中、心の支えとなるような「本当の人間関係」を作ることを求めていたのだ。

血縁上の家族はいても、弱さを見せられるような相手を持ち得なかった辛さは、いったいどれほどのものだろう?
それに加えて、自分で自分を痛めつける声が頭に響くなんて。

そんな彼女の抱えている言いようのない「孤独感」が、同様に生きづらさを抱えてきた自分には死ぬほど刺さった。
というのも、私も「自分を周りがあざ笑うように聞こえる」という妄想に取り憑かれているからだ。

誰とも心を分かち合えない寂しさ、かといって一人で生きてゆくには弱すぎる己、出口も答えもないまま歩み続けるには長すぎる人生…
そういった悲しみを、よくぞ描いてくれたなと思うし、ぜひ見ていただきたいのだ。

ちなみにその後のアルバはというと、トンマーゾに想いを寄せてみたものの、叶いはしなかった代わりに、彼のゲイ友や祖母と交流を深める事によって、「孤独感」の暗闇から顔を上げることになる。

「悲しみ」を悲しみのまま終わらせない、根の明るさも、この映画を推したい理由の一つである。

その他、個人的に好きなシーンはここ

・主人公と兄が取っ組み合いの喧嘩しているシーン
エゴむき出しで喧嘩しているので、とっても心が痛いのに、カワイイ。

・アルバが、主人公のゲイ友たちと海に遊びに行くシーン
アルバ…!お友達ができてよかったねぇ…!!!って涙腺が緩む。

・主人公の母と叔母が噂好きおばさんを撃退するシーン
こんな風に庇ってくれる家族っていいなあ、と思うと同時に、痛快でもある。女は怖い。

・アルバを慰めようとして勢いでキスしてみた主人公が、彼女が去ったあとに唇を撫でながら落ち着かないシーン
なんともいえないむずがゆい感じで所在なげにしているのがとても好き。

・弁護士のお兄ちゃん(ゲイ友その1)がアルバのドレスを見てブランドを言い当てるシーン
ゴクリ…この兄ちゃん、けっこうムチムチのイイ身体なのである。反応からしてこのドレスをたまに着ているのかと思うと…たまらない。

あと、普通に主人公兄弟も西洋的整った顔立ちで見ていてかっこいい!となること請け合いだし、アルバはかわいいし、婆ちゃんもかわいい。
なので俳優の見かけや演技目的で見るのも十分おすすめできる。

以上、「あしたのパスタはアルデンテ」を見てほしい!という推し文でした。
アマプラさん!配信してくれよぉ!

テーマ曲で流れる「50mila」もすごい耳に残るのでぜひ。


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