妖怪図鑑8:疫病神
初めは「摺衣(すりごろも)」かと思った。
しかし、忌まわしき邂逅の場から立ち去って、しばらく経つのに、心中のざらつきは治まることを知らなかった。
そこで、はたと気がついた。
これは「疫病神」だ、と。
疫病神とは、祟りや穢れといった不穏なものを身に纏うものの名である。
忌まわしき黒い靄のようなものが、ねっとりと渦巻きながら、その身体を覆い包んでいる。その霧に触れた者は、同じように霧に取り込まれてしまう。すなわち「感染」するのだ。
霧に感染した人間は、怒りや憎しみといった、ネガティヴな感情に取り憑かれてしまう。それは、まるで感染源となった妖しの存在の姿のよう。そして、第2、第3の疫病神として、市井をさまよう存在になり果てることとなる。
そう、疫病神とは、この霧のことなのだ。
疫病神に憑かれると、抵抗力のようなものが下がるのだろうか、たちまち他の妖怪に取り憑かれやすくなる。その結果、一人の身体の中に、疫病神と他の妖怪が共存することになる。それを避けるためには、一刻も早く、疫病神を引き剥がすしか他に道はない。
疫病神に取り憑かれたときの症状は、次のような変遷を遂げる。もちろん、なるべく早い段階での治癒が望まれることは言うまでもない。
【第1段階】
直接的報復段階。感染源に明らかな敵意を抱く。口論もしくは暴力で、明確な事実として打倒することを望む。
【第2段階】呪術的報復の段階。感染源に対して、なにかしらの不幸が訪れることを願う。呪い/恨み。非直接的報復。
【第3段階】
意味論的報復段階。感染源の倫理的、論理的性質を批判し、価値を損ねようとする。防衛機制における合理化。
最終形の第3段階においては、明確な敵意はすっかり姿を潜めている。ともすれば、軽蔑や同情の念すら感じているかもしれない。
穏やかでありながら、辛辣な毒舌を言い放つ姿は、いかにも達観した人物のようでもあり、欲求不満を抱えた人々から一目置かれることもあるだろう。
しかし、毒舌で他人をこき下ろし、せせら嗤う姿こそ、疫病神の汚染が完成された証でもある。
ニーチェは「ルサンチマン」という用語で、この第3段階の疫病神について語っている。
道徳上の奴隷一揆が始まるのは、《ルサンティマン》そのものが創造的になり、価値を産み出すようになった時である。ここに《ルサンティマン》というのは、本来の《反動》、すなわち行動上のそれが禁じられているので、単に想像上の復讐によってのみその埋め合わせをつけるような徒輩の《ルサンティマン》である。すべての貴族道徳は勝ち誇った自己肯定から生ずるが、奴隷道徳は「外のもの」、「他のもの」、「自己でないもの」を頭から否定する。そしてこの否定こそ奴隷道徳の創造的行為なのだ。評価眼のこの逆転──これこそはまさしく《ルサンティマン》の本性である。(ニーチェ『道徳の彼岸』岩波文庫 P.36-37)
ニーチェが上記で言う「行動上の反動」とは、疫病神に侵された第1段階に見られる直接的報復のことである。
なにかしらの理由、──たとえば非力だったり、臆病だったり、あるいは地位的に許されなかったり、など──で、直接的報復がかなわないとき、人々は価値を転倒させ、善きことを悪く、悪いことを善いとする新たな価値観を生み出してしまう。
いわば、相手の存在に直接関係することなく、優位性を確保しようとする試みに他ならない。
その心性こそが「ルサンチマン」であり、第3段階の疫病神そのものでもある。
■退治方法
治療法は、感染源とのつながりを一切断つこと、すなわち、ただ忘れることしかない。
どんなに価値を転倒させたとしても、結局のところは、ただひたすらに怨恨の力を蓄積しているだけである。
そうではなく、忘れること。
否定も肯定もせず、忘れるまで、ひたすらに無視することに尽きる。
禅にこんな話がある。
友の僧侶と旅をしていた原坦山禅師。
川にさしかかると、若い娘が川を渡れずに困っていた。
その川には橋もかかっていなければ、船もないのだ。
そこで、禅師は何くわぬ顔で娘を抱きかかえて、無事に川を渡り終えた。
娘は礼を言って去って行った。
しばらく歩き続けた後、友の僧侶は釈然としない様子で禅師に言った。
「禅僧の身で娘を抱くとはけしからんじゃないか!」
禅師は涼しい顔で答えた。
「ああ、あの娘のことか。もう忘れていたよ。
お前はあれからずっと抱いていたのか?」
(長田幸康『ブッダに学ぶ生きる智慧』東洋経済新報社 P.105)
禅語では「放下著(ほうげじゃく)」という。すなわち「捨て去ってしまえ」という意味である。
とはいえ、ついさきほどまで激しい怒りに駆られていたのに、いきなり忘れるというのは難しい。
そんなときは、無理して忘れるのではなく、別のことに意識を集中する方法をお勧めしたい。
効果的なのは、心の中で感謝の言葉を述べることである。(※1)
どんなことでもいい。周囲の人々の優しさ、平凡な幸福、最悪のことが起こっていないこと、天気がいいこと、生きていること…。本当にありがたいと思っていれば、なんだっていい。片っ端から感謝していく。
気がつくと、するりと疫病神の呪縛から逃れていることがわかるだろう。
※1 … アメリカの精神科医、フィル・スタッツは、著書『ツールズ』にて、この技術を「感謝の流れ」と呼び、不安や自己嫌悪などネガティブな考えを打ち砕くのに効果的だと説いている。