【感想レポート】「水木しげるの妖怪・百鬼夜行展」に行ってきました!〜妖怪が日本人の心に息づいている面白さと奥深さを体感した話
こんにちは、水無瀬あずさです。
昨日1/23は本業で有休をいただき、日帰りで実家のある名古屋へ帰省しました。目的は、グループホームに入居している認知症の母の体調が思わしくなく、市立病院で検査をする手続きをするためです。ガン治療中の父だけでは心もとなく、また母もいつどうなるかわからないということで、様子を見がてらの付き添いです。あと実家で同居している兄がポンコツすぎて使い物にならないからっていう理由もあります。同居しているのになぜ手伝ってやれないのか。兄のポンコツを治す薬を開発してほしい。
で翌日の今日も休憩のため休みをいただいたわけですが、なんか考えなきゃいかんことが多くてモヤモヤして居たたまれない気持ちになったので、ここはもう思い切って出かけよう!と奮起しまして。横浜そごうで開催されている、『水木しげるの妖怪・百鬼夜行展〜お化けたちはこうして生まれた』(以下、「百鬼夜行展」)に足を運んできました。
学生時代から私を知っている人なら「ああ、相変わらずだね」と生暖かい目で見守ってくれると思いますが、私、昔から妖怪って大好きなのです。大学は日本史を専攻していましたが、できれば妖怪学を学びたくて、でも大学にそういうのを研究している教授がいなかったので、仕方なく陰陽師の研究にしたってくらい筋金入りです。大学時代は妖怪の本も大量に持っていたのですが、今はほぼ処分してしまっていて残念。また集めたくなってきました。
ということで今回は、私の大好きな妖怪と百鬼夜行展の魅力を語り尽くすnoteです。妖怪って聞くと、妖怪ウォッチを思い浮かべちゃうそこのアナタ!妖怪ウォッチだって鬼太郎がなかったらきっと出来ていないんですよ!いまや海外向けビジネスにもなっている日本の妖怪文化を見るに、水木しげるの少年時代の妖怪体験は日本の宝だったと言っても過言ではないでしょう。そんな妖怪の魅力、百鬼夜行展でたっぷりと体験してきた感想レポートをお楽しみください。
百鬼夜行展とは
百鬼夜行展は、横浜そごう6階にあるそごう美術館で2024年1月20日(土)から3月10日(日)まで開催されている企画展です。
展示案内はこちら。
鳥取県境港市で生まれ水木しげる氏は、近所の拝み屋だった「のんのんばあ」から妖怪に関するさまざまな話を聞いて育ちます。同時に、子どものころからさまざまな不思議な体験をし、妖怪への興味を募らせていくことになります。
太平洋戦争では召集令状を受けてパプワニューギニアへ送られますが、日本を出てなおいくつもの不思議な体験をします。戦地の最前線に赴き部隊は全滅しましたが、氏は九死に一生を得て生還。しかしその後マラリアに感染し、回復したところで敵の空爆に遭い左手を失ってしまいます。
戦後は妖怪への好奇心から画業の道へ進み、少年誌デビューを経て一躍人気漫画家になりました。ここで人気を得たのが、何を隠そう鬼太郎シリーズ。戦前に流行した「ハカバキタロー」という怪奇系紙芝居に着想を得て、独自のキャラクターを生み出したのです。こうして「ゲゲゲの鬼太郎」は少年誌に連載されるようになり、鬼太郎は悪い妖怪を倒すヒーローとして描かれるようになりました。
戦地から命からがら生き延び、病気やケガを経て生命を繋いだというそのストーリーはまさに、妖怪に導かれたものだったような気がしてなりません。まるで妖怪が、「タダで生かしてやらない。お前も代償を払え」と体にマラリアをもたらし、左腕を奪っていったような。しかも失ったのは左手であり、右手はちゃんと残っている(から漫画が書けた)というあたりには、非常にドラマ性を感じます。水木しげるはまさに妖怪を愛し、妖怪に愛された男だったということの証なのかもしれませんね。
百鬼夜行展の見どころと考察
「妖怪」って聞くと、誰しも何となく具体的な妖怪が頭に浮かぶのではないでしょうか。目玉のおやじ?塗り壁?一反木綿?私たちの持つそういう妖怪に対する深層意識を創り出したのが、何を隠そう水木しげる氏なのです。それってすごいことだと思いませんか?私は百鬼夜行展を見て、人の心や意識を一定の方向へ導くことのスゴさを実感しました。ここでは、私の感じた水木しげる氏の偉大さや妖怪の魅力についてご紹介します。
日本人の心に妖怪を根付かせた功績
妖怪って、私たち日本人の心に当たり前のように根付いている存在であり概念です。水木しげる氏のスゴさは、その活動を通じて妖怪という漠然とした存在を具象化したことだと思います。
今っていろいろな妖怪作品がありますが、すべてが水木しげる作品を踏襲していると言っても過言ではないはず。これをプログラミング的に言えば、水木しげる作品は基底クラスであり、現在の妖怪作品はすべてそれらを継承しているということです。extendsですな!こらそこ、「かえって分かりにくくなった」とか言わないように!
人々の心のなかにある概念って、長い時間をかけて少しずつ形作られていくものだと思います。そうやって時間が経ってふと、妖怪という存在があたりまえのものになっていく。水木しげる氏の妖怪に関する活動によって、日本人の日本人たるアイデンティティが確かなものになったと言えるのかもしれません。
生き生きとした妖怪の表情に注目!
百鬼夜行展では、水木しげる氏の書いた妖怪画が100点以上が展示されています。鬼太郎シリーズに登場するおなじみのものから、聞いたことがないようなマニアックな妖怪まで、さまざまな種類が色鮮やかに描かれているのが魅力。その表情には、さながら生きている姿を見て書いたような躍動感があります。
パンフレットには展示作品が掲載されていますが、実際に展示でズラッと壁一面に飾られた迫力が素晴らしいです。ぜひ実際に足を運んで、ナマの迫力を体感してみてください!
妖怪に生命を吹き込む「実体験」
水木しげる氏の妖怪画の多くは、過去の妖怪研究者たちが書物や絵として残したものを参考にしています。とくに江戸時代中期の画家・鳥山石燕の『百鬼夜行図巻』を参考に描かれているものが多く、見比べてみて「よくここまで細かく描いたなあ」と感心するほどです。
ただ、『百鬼夜行絵巻』と水木しげる作品では、決定的に違うものがあります。それが、体験―エクスペリエンスです。百鬼夜行絵巻は詳細に妖怪の絵が描かれていますが、水木しげる作品には、自身のさまざまな不思議体験に基づいた経験や驚き、感動、畏れが乗っかっています。だからこそ、どの妖怪も躍動感があり、生き生きとした表情をしているということなんですね。
同じような絵を他の人が描いても、あるいはAIに描かせたとしても、きっと水木しげる作品と同じにはならない。そう考えると、エクスペリエンスの重要性をつくづく実感します。
妖怪研究者たちの偉業の賜物
鬼太郎を初めとする水木しげる作品は、過去の妖怪研究者たちがいなければ生まれることはなかったものです。つまり、それまでに掘り下げて妖怪研究を積み重ねてきた先人たちもまた、称賛されるべき存在であると言えます。
『百鬼夜行絵巻』を描いた画家の鳥山石燕は、さまざまな妖怪を浮世絵として表現した第一人者です。私も大学時代、石燕のぶあつい作品集を持っていました。引っ越すときに処分してしまったのが心残り。国立国会図書館のNDLイメージバンクで、石燕の作品をたくさん見ることができます。
また日本民俗学の祖である柳田國男は、『遠野物語』のなかでも妖怪について多く取り上げており、妖怪研究においては重要な役割を果たした人物です。大学時代に遠野へ旅行に行ったことがありますが、あの地には現代でも妖怪が色濃く息づいていると感じました。タクシー運転手さんが観光案内をしてくれたんだけど、訛っていてなにを言っているかほぼ理解できなかったのはいい思い出です。
その他、江戸時代の絵本作家・速水春暁斎の『絵本小夜時雨』、絵師・竹原春泉斎の『絵本百物語』などは、妖怪史では有名な本と言えるでしょう。大学時代は全部持っていたので、今回百鬼夜行展にすべて展示されているのを見て「なんて懐かしいんだ・・・!」と一人で感動したのはここだけの話。
そうそう、展示されている妖怪画のなかに、疫病神と言うのがあるんですけどね。
これ実は、平安時代の絵巻である『泣不動縁起絵巻』上巻に描かれている疫病神を元に描かれています。この絵!
実はこの右の黒い貴族、有名な陰陽師・安倍晴明です。私は大学時代に陰陽寮(陰陽師=官僚たちが働く役所)について調べていたので、この絵のことも知っていました。そして、ここに描かれている疫病神の、黒いやつのことを「かわいい」とずっと思っていたのです!
水木しげる氏が黒いやつの絵を書いていたことは、今回百鬼夜行展で初めて知ったのですが、まさか20年の時を経て黒いやつを見ることになろうとは!この絵の前で一人「ふぉおおお・・・!」と声なき声をあげたことは言うまでもありません(マスクをしていたのでセーフ)。
鬼太郎を超える妖怪作品はない
妖怪が登場する作品といえば、実にさまざまなものがありますが、鬼太郎を超える作品というのはないのではないでしょうか。鬼太郎は妖怪作品のパイオニアであり、時間を経てもその魅力は色褪せることなく受け継がれているのです。何度も時代に応じてカスタマイズされているのはその証拠と言えるでしょう。
それにしても令和の鬼太郎シリーズは、マジで猫娘の萌えっぷりと足の長さにただただドン引きです。こんなかわいこちゃんはネコ娘じゃない・・・!昭和生まれ的には、鬼太郎のヒロインは天童ユメコちゃんなんだってば!!
あと個人的にはエロイムエッサイムの「悪魔くん」がすごい好きだったのですが、最近Netflixでリメイクされていました。これまた色褪せることのない魅力ってやつですね。
ただ、これまた私の知っている悪魔くんじゃない案件です!悪魔くんはそんなに手足が長くてスタイリッシュじゃないし、メフィストも私が見ていたころは2世だったのに、今作は3世とか。まさか世代交代を果たしているとはね!時代は・・・時代は変わったのだッ・・・!
悪魔くんは主題歌が秀逸で大好きでした。今でも1番は全部歌えるし、なにげに隠れた名曲だと思っています。バランガバランガ呪文を唱えよう♪
デジタルは妖怪の棲家を奪うのか?
百鬼夜行展の最後のところで、水木しげる氏の格言?が残されていました。写真撮影ができないのでちゃんと記録できなかったのですが、要は四六時中明るい現代社会では妖怪が生きにくくなってしまったという内容でした。
光があれば闇があるものであり、闇があれば妖怪の棲家が失われることはないでしょうが、とはいっても昼夜を問わず明るい現代は確かに妖怪に生きづらいのかもしれません。
しかし、水木しげる氏の言うように妖怪がもし本当に存在するんだとしたら、妖怪たちはこれまでも姿かたちや生き方を人間のライフスタイルや状況に応じて臨機応変に変化させ、それこそ人類と同じように進化を続けながら共存してきたってことなんじゃないかと思うのです。だからきっと妖怪たちは、今のデジタル社会にもうまく対応できるはず。そしてこれからも、私たちとうまく共存して生き続けられるに違いない。百鬼夜行展の展示を見て、そんなことを強く思いました。
コラボメニューを頼んでみた!
そごうのレストランでは、百鬼夜行展の数量限定コラボメニューがあるということで、行ってみました。
12時前くらいだったのですが、すでにすごい行列ができていて(15人くらい待っていた・・・)どうすべきか悩みました。が、せっかく来たしなあということで並んでみることにしましたよ。私が並ぶとか非常に珍しいことなんですが、まあたまにはね。
ビーフシチューが早々に売り切れ、フレンチトーストも私の2組前に終了。ラテも私の時点で残り2点ということでしたが、なんとかギリギリ限定メニューをゲットできました。これだ!
こちらは数量限定なので、食べたいというひとはお昼より早めに行くことをおすすめします。平日なのになんでこんなに人いるの!?ってビックリしてしまいましたよ。土日はたぶんえぐいことになっているんだろう。
店員の若いメンズたちがボソボソ話しているのが聞こえていましたが、「(売り切れるの)すっごい早い」「でも限定(メニュー)目当ての人はもう来ないから、これで楽になるな」みたいなことを言っていて、なんかごめん!と思いました。
ちなみにランチでパスタもいただきました。具だくさんで麺が太いタイプだったので、写真で見ると量が少なく見えますが、めっちゃお腹が膨れました。
結び
気晴らしにでかけた百鬼夜行展でしたが、いろいろと考えさせられたり懐かしかったりして楽しかったです。「せっかく横浜駅に来たし」と思い、そごうのLoftと紀伊国屋(本屋)に行き、お隣にある丸井のポケモンセンターと駿河屋(ホビーショップ)に行き、さらに新しくなった横浜ビブレのブックオフとビレッジバンガードへ行って帰りました。帰り道に「はっ!せめて洋服やアクセサリーの一つでも買えばよかった!」と後悔するような陰キャ丸出しムーブを気づかず展開していた私には、やはり桁違いに女子力が足りないということでしょうか。おーまいがー。
一日のんびり過ごしてリフレッシュできたし、明日からは再び本業・副業を頑張ります。次の帰省は2/2、母の検査の付き添いで前泊予定です。風邪をひかないように頑張ろう!
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