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父の急逝から半年が経ちました~ちょっと感傷に浸りながら、父との思い出と遺産相続の進捗について振り返る

こんにちは、水無瀬あずさです。3連休明けの一週間ってキツイですよね。そしてさらに三連休を経てキツイ一週間が過ぎれば、もう月末。月末ですね!?ヒィィ!!

9月に入ってからエンジニア業もライター業も何だか急に忙しくて、余裕がない毎日を過ごしております。体調はぼちぼちです。仕事を頑張っている証明でライター実績を貼りたいんだけど、直近でとりたてて出せるものもないな・・・。エンジニア業では、久しぶりにGoogle広告のAPIと戦っているので、Qiitaで過去に書いた記事でも貼っておこう。まだライターを始める前の記事なので、文章などがアレなのはご愛敬。

さて9月・10月と言えば、かつての我が家ではお誕生日月間としてソワソワする時期。兄が9/25、私が10/8、父が10/9、母が10/22と、全員てんびん座生まれなのです。ということで9月後半からは何となくおめでたいムードが漂っていたことをふと思い出し、カレンダーを見ていたら、ふと「あれ?父の急逝から半年経ったのか・・・」ということに気づきました。なんだかもうはるか昔のことのように思えるけど、まだ半年しか経っていないんですね。時間が経つのは早いけど遅い。胸にぽっかり空いた穴はふさがらないけど、少しずつ草木が生い茂っているような感じがします。

ということで今回のnoteは、父の急逝から半年経った今だから思うこと、思い出すこと、遺産相続の進捗状況などについて、頭の中を整理しつつご報告していこうと思います。相続税の期限は10ヶ月、ぼちぼちスパートをかけなければいけない時期ですが、行政書士さんが頑張ってくれているはず、たぶん!ってな具合で、今日はぼちぼちユルい感じで行きます。最後までよろしくお付き合いください。


父の急逝からちょうど半年が経ちました

父の急逝の知らせを受けたのは、3/20の早朝でした。何となく頭の中で「20日は月命日だなあ」と思いながらカレンダーを見て、「アッ今日で半年じゃん!」と気づいたのが今朝の午前中でした。最近バタバタしていて日にち感覚も曜日感覚もないのでそんな感じになっちゃった薄情な娘ですが「まあ仕事が忙しいならしゃーないわな」と父なら笑ってくれるはず。

父の急逝から半年ということはつまり、次男くんが小学校を卒業して半年ということ。あっという間なようで遅い半年間でした。あの時のことは、まだあまり振り返りたくない。「半年経ったよ」って父の遺影に手を合わせてみたら、ふと涙が溢れてきて、ああまだ泣いちゃうんだなあと自分でもびっくりしたり。なんだか情緒不安定みたいです。

父の死後にいろいろ考えるようになったのが、健康のこと。父は悪性リンパ腫という血液の癌だったのですが、我慢強さだけはピカイチだった父がのたうち回るほど痛いんだそうです。痛いのはイヤだなあ、苦しむのはイヤだなあって思うので、一層健康に気を使うようになりました。

あと結局父は、その我慢強さ故に病院に行ったときにはすでにステージ4だったというわけで、少しでも体の異常が続くようなら、気のせいでもいいからすぐ病院に行かねば!というのを心の教訓にしました。早期発見、だいじだね!!

ここ数か月は夜布団に入るとき、入院していた父は布団の中でずっと痛みに耐えていたのだろうかと思うと苦しくなり、なかなか寝つけなくなる日が増えました。死とはこういうふうに寝ているときに忍び寄ってくるのだろうかと考えると耐えられなくなり、イヤホンでYouTubeを聞いて意識をそらすようにしています。40歳も半ばになると、『死』というものすら遠い存在ではなく、むしろ人生も折り返し地点を過ぎ、少しずつ近づいていることを如実に感じる今日このごろです。こわい。

認知症の母はグループホームで快適に過ごしているようですが、頭が痛いのが兄の存在。独身で実家の分譲マンション暮らし。正社員として働いてはいるものの、3LDKの広い家ではたしてどんな暮らしをしているのか、ふと心配になります。絶対ちゃんと栄養取ってないよなあと思うのだけど、私は私で仕事と家事育児までやっている中で兄のことまで考える余裕はなくて、そういえば一ヶ月連絡すらしていない。もし家で倒れていたら、会社から連絡が来るかなあとか思ったりしています。そろそろ連絡してみるかな。すまんなアッニ。

できれば兄には早々に家を売却して、賃貸の小さなところに引っ越してほしいんだけど、引っ越しとなると家電を買い替えたり手続きやらがあれこれ必要になるので、それを考えるとうーん・・・ってなります。定年までなんとか今の家に住んで、介護付きの老人ホームとかにさっさと入ってもらうしかないのかも。ただそれまでに病気をせずに過ごせるのかは微妙なところです。何せどう考えてもメタボ体型なんでね・・・。

あと兄に関しては、父の遺産をパパ活女子みたいなのに騙し取られないかという不安もあります。女慣れしていないので、可能性はゼロじゃないと思っているんです、恐ろしいことに。私は父の遺産相続に関しては全部放棄して兄に譲るつもりでいるんだけど(その代わり、なんかあってもそのお金でなんとかしろよ、こっちに金を無心してくんなよ、という意図)、パパ活女子のリスクを考えると、まるまる渡してしまうのは非常にリスキーかもしれないと最近思っています。行政書士さんも「別にまだ放棄しなくていいんじゃないですか?」と言っているし、ギリギリまでは分割で私も持っておいたほうがいいのかも。

みたいな、半年経ってもまだこんな感じの悩みを抱えているよという現状報告でした。やれやれだよ。

父との思い出を振り返ってみる

父の思い出で心に残っているのが、就職活動のときのこと。ご存知のとおり(!)私は就職氷河期世代の中でもドン底一歩手前の時期を経験した身でして、その話だけで1時間話し続けられる程度にはいろいろ経験してきました。あの時代は、エントリーシートは100社に出せと言われ、面接では圧迫面接という地獄の日々でした。面接官に笑顔で「あなたの代わりはいくらでもいるんだから」と言われ続けるのが就職活動。自己肯定感やや高めの私だって、そりゃ心も折れるってものです。

私は関西では知られる私大に通っており、先輩も同期も優秀だったのも辛かったですね。就職氷河期で面接になかなか通らないという話がありつつ、ゼミ生5人のうち私以外の4人は4回生の4月時点で上場企業の内定をいくつももらっているわけです。方や私は内定ゼロ。ゼミに行くたびに吐きそうでした。みんな楽しそうに卒業旅行の話をしつつ、私に「あ、決まってないんだっけ」とか笑顔で聞いてくるんですから、残酷なもんです。

そんな私のズタボロ状態を見かねて、母は「気分転換に福井に来たら?」と提案してくれました。当時実家は名古屋でしたが、父が単身赴任で福井に住んでいたのです(つまり名古屋、福井、西宮の3重生活をしていたってことですね。今考えるとすげえ)。

福井では父と母が、美味しい海の幸でもてなしてくれました。高級な越前ガニに舌鼓を打ち、よし!もうちょっと頑張ろう!と思い始めたそのとき。酔った父が、なんの文脈だったか忘れたけど、「内定を取れないのは、お前に能力がないだけの話で、そんなもん仕方ないじゃないか。選んでもらえないお前が悪い」などと笑いながら言い放ったのです。

事実なんだけどね。紛うことなき事実なんですけどもね。心も体も疲れ果てて呼び寄せた娘に対して、これは追い討ちですよ。シャワーを浴びながら、泣きながら、食べたものぜんぶ吐きました。掃除大変だなと一瞬思ったけど、そんなのどうでもいいくらいに全部吐きましたね。カニがもったいなかったな・・・。泣きながら、もう辛い、辞めたい、逃げたいって強く思ったのを今も覚えています。

福井から下宿に戻ってすぐ、高熱を出しました。めったに風邪をひかない私なので、それだけ大ダメージだったのだと思います。マスコミを志望していた私、翌日には仙台で地方新聞社の試験があり、熱だろうとなんだろうと食らいつかなければ!と思っていたのですが、翌日になっても熱は下がらず。ふらつきながらリクルートスーツを着て「あ、これはもう無理かも」となり、諦めてそのまま泣きながら寝ました。私のマスコミ志望は、まさにこのときに力尽きたわけです。

熱が下がってから私は、就職活動の方向転換を図りました。営業職、事務職、そしてエンジニア職など、今まで見てこなかった中小企業の仕事を探して受けるようになりました。結果として、あの福井ゲロまみれ事件は、ある意味で私の就職活動の転機となったわけです。エンジニアとしてそれなりにキャリアを積めた今となっては結果オーライですが、それでもこれに関して、今でも父に感謝の気持ちは全くないです。自分にも他人にも厳しい父の性格を思えば、おそらくあれは父なりの叱咤激励だったのだろうと今は理解できますが、それでも足りなすぎるだろ言葉がァァ!!って思うんですわ。心がぽっきり折れて立ち直れなくなったらどうしてくれるんだ。

そんな、言葉は足らないけど(おそらく)愛情深かった父。結婚式では、父への手紙の中で「お父さんの『強さ』を、私もこれから受け継いで生きていきます」というメッセージを書いたのですが、その後父からは「強さだけでなく、優しさも忘れないで」という旨の手紙を貰いました。お ま え が な ! !と思ったのはここだけの話です。

遺産相続の手続きは今こんなかんじ

あまり進捗はないのですが、実家と遺産関係はぼちぼち司法書士さんが動いてくれているので、報告できる範囲で進捗をご報告しておきます。親の死は他人ごとではないので、多かれ少なかれ皆さんにも降りかかることかもしれません。何かの参考になれば幸いです。

母の法定相続人の選定

認知症の母は遺産分割協議ができないので、法定後見人というのをつける必要があるとのことで、行政書士さんが司法書士さんを紹介してくれました。行政書士と司法所の違いがいまだに良くわからん。

法定後見人は、こちらから「この人がいいです!」って推薦ができるんだけど、最終的な判断は家庭裁判所がするということで。絶対ではないけど、「おそらくこの人に決まるんじゃないか」みたいなことらしく、司法書士さんからご挨拶の電話をいただきました。同意書も書いた。

最終的に決まるのは10月後半ぐらいじゃないかとのことでしたが、こちらはとりあえずお任せするしかないので、報告待ちの状態です。

父の実家の土地問題

父の実家は三重県の山の方にあるのですが、こちらは私の祖母が亡くなってからそのままになっていて、処分をどうするかも問題です。父は自分が処分をするつもりだったようですが、コロナ禍で身動きが取れなくなったところで止まっていました。

行政書士さんに調べていただいたところ、名義が父ではなく祖母のままになっているということで、本来であれば相続権は父と父の姉にありましたが、父が亡くなったので私と兄に移ったそうです。つまり父の実家の相続権は、父の姉、私の兄、私の3人で協議が必要になります。父の姉とは、父が亡くなったときに電話で話しましたが、家についての意向を聞く必要があり、兄に電話で確認するように言っていました。

ところがどっこい!1ヶ月ぐらい猶予をあげたにもかかわらず、ポンコツ兄は相変わらずポンコツで、「電話しても繋がらない、出ない」「仕事が忙しい」とのらりくらり。相続税の期限があるから急げっつってんだろ!と何度言っても動かない役立たずぶりに腹を立てた私、電話番号は知らないので手紙を出しました。ChatGPTに文面を考えてもらって。そしたら、届いたであろう翌日に電話がかかってきたよね。ウン、役立たずだねあいつ!!!

結論としては、父の姉は相続権を全て放棄するということになりました。予定通り兄が相続して相続税を申告したうえで、家を取り壊し、土地を売るか返納するかすることになります。ずっと悩みのタネだったので、少しずつでも進んでいてくれることが嬉しい。さすがは行政書士さん、プロに任せると早いなあということを実感しています。

いろいろと準備は整いつつあるようなので、相続税申告に向けて着実に動いているらしいという現状でした。また進捗あれば報告します。

結び

父の急逝から半年ということで、いろいろと胸の中に抱えているモヤモヤを吐き出したり、ちょっと昔を思い出してみたり、現状でご報告できるいろいろなことをまとめてみたりしました。吐き出したらスッキリしたな。相続税に関しては、この調子で進めば年内ぐらいには落ち着くのかしら。もはや完全に行政書士さんと兄に任せている状態なのですが、さっさと落ち着いて欲しいなーって思う今日この頃です。

ということで、ちょっと感傷に浸りながらお届けしました。皆様、よき三連休をお過ごしください。

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